高齢者支援

高齢の父が免許を更新した日 ―― デジタル化の壁と行政書士にできること

写真はイメージです

本日、昭和一桁生まれの父の運転免許更新に付き添い、警察署へ行ってきました。
90歳を超えてなお、自ら家事をこなし、認知機能も正常。
父にとって免許証は、単なる許可証ではなく、自立して生きる「現役の証」であり、誇りそのものです。

しかし、現場で目にしたのは、高齢者が直面する高い「デジタル化の壁」でした。

警察署で聞いた「切実な声」

現在の更新手続きは、75歳以上の認知機能検査から始まり、視力検査、そして機械への暗証番号入力など、多くのステップがデジタル化されています
隣で操作に難儀していた方がこぼした「いくらか払ってでも、誰か代わりにやってくれないか」という言葉。それは、身体能力はあっても、複雑なシステムに置き去りにされる不安の表れだと感じました。

行政書士として、私たちが「伴走者」になれること

本来、免許更新は本人の出頭が原則です。しかし、そこに至るまでの「準備」や「その後の選択」において、私たち行政書士がサポートできることは多々あります。

手続きの交通整理: 認知機能検査の予約や、必要書類の事前準備のアドバイス。

「返納」という決断のサポート: 運転を卒業する際、身分証となる「運転経歴証明書」の申請補助や、返納後の生活設計(遺言・後見制度)の相談。

デジタル格差を埋める相談窓口: 2025年からは「マイナ免許証」も始まっています。

操作の代行はできずとも、仕組みを噛み砕いて説明し、心理的なハードルを下げる「伴走者」としての役割が、今こそ求められています。

驚きのデータ:100歳を超えてもハンドルを握る人々

最後に、興味深い統計をご紹介します。
警察庁のデータ(令和5年末)によると、日本には100歳以上の免許保有者がなんと「6,423人」もいらっしゃいます。
90〜94歳の方に至っては約24.3万人。父の挑戦は、決して特別なことではなく、これからの超高齢社会における一つの日常なのです

結びに

「返納すべき」という一般論も大切ですが、父のように「ルールを守り、限界を知り、技術で補う」ことで自立を保つ姿もまた、尊重されるべき一つの形です。

私たちは、単なる書類作成の代行者ではなく、高齢者の「誇りある暮らし」を守るための法務のパートナーでありたい――。警察署の喧騒の中で、改めてそう強く感じた一日でした。

    参考:70歳から74歳までの方の運転免許更新手続(高齢者講習)神奈川県警のページ

    日々の雑感

    デジタルという全知全能の具

    平塚市役所へ行ってきた。用件は私個人の「国民健康保険」デビューである。
    前職の保険組合という、「温かい揺りかご」の約2年の延長期間も終わりを告げた。国民健康保険と比べ、組合の方は比較的低い年収ラインで「上限」という名の防波堤を用意してくれている。おそらく偉いお方たちが、自らのために知恵を絞って作った仕組みなのだろう。ソフトランディングに感謝。ありがたや、ありがたや。

    さて、久しぶりに足を踏み入れた市役所だが、明るく、レイアウトは洗練され、職員諸君はテキパキと、しかも爽やかに動いている。口座振替に印鑑も通帳も不要、キャッシュカードを一枚差し出すだけで、デジタルという「全知全能の具」がすべてを解決。「ほう」と感心している間に、一時間足らずで全てが完了した。実にお見事、まさにスマート。
    だが、ここで私の開業への気負いがむくむくと鎌首をもたげた。
    「ふむ。この方々が今後、稼業の『強力な助っ人』となるのか、はたまた、あるいは……」もしかしたら、温かくも怪しげな視線を皆様に送ってしまっていたのかも。失敬。

    日々の雑感

    春は遠きにありて、老舗で高楊枝

    港の見える丘公園から産業貿易センタービルを望む

    本日23日。私は、神奈川県行政書士会の門をくぐり、身に余る入会金と登録手数料、そして印紙を納めてきた。
    それは、新しい人生という名の「旅」を始めるための、確かな通過儀礼のようなものだった。

    対応してくれた事務局の方の横顔には、隠しようのない疲れがにじんでいたのに気が付いた。
    この季節、私と同じように志を抱いた人々が、次々とここを通り過ぎていくのだろう。

    わが身のかつての現役時代と彼らの多忙を重ね合わせ、「どうかお体に気をつけて」と、心の中で静かにエールを送った。

    「待たされる時間」という豊かな贈り物

    かつて、闇の中で切望した妖怪たちのように、今の私の胸にあるのは「早く行政書士になりたい」という、ひたむきな祈りに似た思いだ。

    けれど、この「待たされる時間」こそが、実は人生において最も豊かな時間なのかもしれない。
    行政書士という資格の重みあるいはアナログな重厚さが、ひとつの生命がゆっくりと脈動を始めるように、実感として心に沁みわたっていく。

    この、胸を締めつけられるようなスローモーションのような静かな時間は、きっと一生忘れることはないだろう。

    帰り道、そばをすすりながらそんなことを考えた。

    カレンダーを塗りつぶし、金色のバッジへ

    登録が完了するのは、最速で4月15日。さらに27日には、新しい門出を祝う研修会と、宴を兼ねた交付式が用意されているという。
    何とも心躍る、春の約束ではないか。

    振り返れば、去年の11月9日の試験に始まり、1月の合格発表、3月の説明会……。

    カレンダーの数字をひとつずつ塗りつぶすたびに、あの「金色のバッジ」が、一歩、また一歩と、着実に私の胸に近づいてきている。
    この、切ないまでの喜びを、今はただ、掌(てのひら)の中でそっと温めていたい。

    夜の底で、新しい自分に出会う夢を見ながら。

    この人生のイベントに関わってくれているすべての人たちに、深い感謝を。おやすみなさい。

    士業たるもの、締めは横浜駅の老舗でそばを食らう

    相続・遺言

    「あとのことは、よしなに」という話

    ビールを片手に未来を語る。『その時』のために準備できる、スマートで粋な方法とは?

    たまには、遺言についてふと考えてみる。
    日本で死ぬ人のうち、遺言書をまともに残しているのは10%にも満たないという。60代や70代の諸氏に限っても、わずか3.5%。みんな、自分が死んだ後のことには驚くほど無頓着か、あるいは「なんとかなるわい」と高を括っているらしい。

    イギリスの「たしなみ」とアメリカの「デジタル遺言」

    ところが海を越えると、話はがらりと変わる。

    特にイギリス。あちらでは、遺言を書くのは「紳士のたしなみ」なのだそうだ。30代の若者が、パブでフィッシュアンドチップスをつまみ、定番のエール「ロンドンプライド」を飲みながら相続話に花を咲かせる。そして「自分が死んだらこのレコードは誰に」なんてサラッと書き残す。家族に余計な苦労をさせないのがクールだというわけだ。

    アメリカにいたっては、もっと切実である。遺言がないと裁判所がしゃしゃり出てきて、遺産をガチガチに管理してしまう。そんな面倒を避けるために、みんなスマホでサクッと「電子遺言」を作る。死の準備さえデジタル化されているのだ。

    日本にもやってくる?遺言をカジュアルに交わす時代

    昔から、アメリカで流行ったものは10年遅れで日本にやってくると決まっている。そのうち日本でも、コンビニで弁当を買うくらいの気軽さで、遺言がやり取りされる時代が来るのだろう。まあ、日本の法律では、15歳にもなれば、親の許しがなくともひとりで遺言は書ける。中学生が「僕の全財産は、ダンス部の美緒ちゃんに」と書き残してもいい。いずれにせよ、死んだ後の始末をつけておくのは、案外、粋なものかもしれない。

    最後に「よしなに」と笑って旅立つために

    さて、そんなわけで昨今、死んでから家族が「印鑑証明が足りない」だの「あの土地は誰のものだ」だのと、揉めるのは、どうにも無粋というものです。

    もし、枕元に書きかけの遺言書を置きたくなったら。
    あるいは、何から手をつければいいか分からず、途方に暮れてしまったら。

    その時は、私を呼んでください。ご遺族に寄り添い、あなたの「人生の締めくくり」をお手伝いします。
    それが、私の仕事ですから。

    日々の雑感

    Nothing’s gonna change my world — 「施無畏」の心を探して

    今年1月インド ハヌマナハリの寺から朝日を眺める Anjanadri Hill Hanumanahalli Sanapur Hampi India

    Images of broken light which dance before me like a million eyes, They call me on and on, across the universe…

    百万の眸のごと、前に躍るは砕け散る光の幻影よ、そは我をいざない止まざる、遥かなる乾坤の彼方へ……

    Lyrics from “Across the Universe” by The Beatles (Lennon–McCartney)

    昨日は妻と墓参りへ。
    お墓とは、亡き人と対話し、己の魂を浄化する聖域です。ところが時代の荒波は、その静寂さえも変えてしまうものなのでしょうか。訪ねた別のお寺で耳にしたのは、経営、規約、顧問弁護士そして「将来性」という、切実な、お寺側の焦燥でした。

    仏教には「施無畏(せむい)」という言葉があります。
    恐れを取り除き、安心を与えることこそが尊い布施であるという教えです。

    先を読むのは賢者の知恵ですが、「過ぎたるは及ばざるがごとし」数字や不安に心を奪われ、目の前の安らぎを見失うのは悲しいことです。100年先を憂うよりも、今ここにある平穏を大切にしたい。
    そんな思いを抱きながら、静かにその場を後にしました。

    Nothing’s gonna change my world.

    変化の激しい時代ですが、先祖を想う心だけは、どうか世俗の荒波に惑わされませんように。

    日々の雑感

    池袋でインド映画、そして「自由」に句読点を

    ハーティー 森の神 Haathi Mere Saathi 人と象との深い絆を描いた名作 (池袋HUMAXシネマズ)

    今夜はインド映画祭の最終日。池袋の劇場でゆったりとスクリーンに浸る――そんな二週間にわたる「東京通い」も、これでひと段落です。

    上映開始を待つ静寂のなか、ふと、自分を律する言葉が英語で脳裏をよぎりました。
    行政書士として、新たな門出に据えるのはこの三本柱です。

    A spirit of service 奉仕の精神

    Giving back for past kindness これまでの恩返し

    Unwavering self-improvement 飽くなき己の成長

    十分に充電したからこそ、これからは法務サービスを通じて、誰かの力になりたい。
    自由を満喫したあとの「再出発」は、どこか身が引き締まるような心地よさがあります。

    さて、まずは今夜の最終上映を楽しみ、心置きなく私の「人生の休暇」を締めくくってくるとしましょう。

    インド文化に感謝。”भारत को बहुत-बहुत धन्यवाद” (Bharat ko bahut-bahut dhanyawad)

    日々の雑感

    頼もしすぎる相棒との橋渡し

    難局を乗り切るのに欠かせないのが、AIの存在

    今日、半日ほど時間が空いたので、かねてより懸案だったホームページの英語版作成に着手しました。
    WordPressの多言語化プラグインを入れたところ、これがトラブル続き…。リンクは迷子に、画像はどこかへ消え、便利なはずのソフトに翻弄され、使いこなせませんでした。結局、終始トラブルの修復に費やす羽目になりました。さらにアンインストールしたものの、その後の復旧作業にも手間を食いました。

    そんな難局を乗り切るのに欠かせなかったのが、AIの存在です。
    AIに励まされ、知恵を借りながらPCに向き合い、その便利さをつくづく実感できました。長時間にわたりご指導いただきまして、AI様様(さまさま)ありがとうございました!

    行政書士が目指す「依頼者様への橋渡し」

    今後の複雑多様なコンサルティングへの移行を思えば、依頼者様に対する行政書士とAIの関係は、単なる「代替」ではなく、「効率化をAIが担い、信頼と判断を行政書士が担う」という分業体制へと進化するのでしょう。行政書士が目指す「依頼者様への橋渡し」は、AI時代において最も価値が高まる領域になるはず。そうならなければ…明日はないでしょうな。

    というわけで、明日は木曜日、少しお疲れ気味です。

    日々の雑感

    墓誌に知る、幾多の物語のあとさき

    彼岸入り。いつもは妻に任せきりの墓掃除ですが、今年はたまたま私の担当に。
    冷えた朝の寺は、三門をくぐるだけで背筋が伸びる心地よさがありました。

    草をむしり、石を洗い、花を供え、「また改めて妻と来ますね」と墓の中のみんなに短くご挨拶。
    マフラーを巻き直し、うねうねと続く墓地の道を帰りながら、ふと視界に入る墓誌を見つめました。

    ここには、何人もの誰かが懸命に生きた証が、幾多の物語のように詰まっている。

    相続や遺言を扱うのが私の仕事です。
    それは単なる書類作成ではなく、誰かの「生きた証」を大切に預かり、次へと繋ぐこと。
    まだ冷たい風のなか、この仕事の持つ温かな責任を、じんわりと思い出した午前中でした。

    日々の雑感

    インド映画フェスティバル2026

    駐日インド大使ナグマ・モハメド・マリック(Nagma Mohamed Mallick)氏から関係者に花束の贈呈

    先週に引き続き、今日も九段下のインド大使館でインド映画を満喫してきました。

    それにしても、インド映画の「濃さ」というか、濃密な仕上がりには圧倒されます。

    3時間近い大作が当たり前。突然始まる歌と踊り、感情の振れ幅は極端で、そして涙あり笑いありの展開は、まさにインドの炊き込みご飯「ビリヤニ」のように具材(見どころ)がたっぷり詰まっています。

    人によっては「くどい、しつこい、妙に明るすぎる」と引いてしまうかもしれません。でも、私はその過剰なまでのエネルギッシュさが、たまらなく大好きなのです。

    今日の映画は『マニカルニカ:ザ・クイーン・オブ・ジャンシー(Manikarnika: The Queen of Jhansi)』。「インドのジャンヌ・ダルク」と称えられる実在の王妃の激闘を、壮大なスケールで描いたバトルアクション活劇です。
    これでもか!と延々と続く戦闘シーンの迫力には、ただただ圧倒されました。

    明日からは会場を池袋に移し、インド映画ウィークはさらに盛り上がっていきます。
    自他ともに認めるインドファンとして、この熱をしっかり受け止めていきたいです。

    私は行政書士として、大好きなインドの方々の在留許可申請を全力でサポートしたいと考えています。
    もちろん、インド以外の方も大歓迎です!お気軽にご相談ください。

    As a certified administrative scrivener, I want to fully support the residence permit applications of people from India, whom I love very much.
    Of course, people from other countries are also very welcome! Please feel free to contact me.

    日々の雑感

    春の光と、愛用の万年筆

    手がかかるほど、愛着は深く。修理を待つ大切な相棒

    少しずつ日差しが暖かくなり、春の気配を感じる季節になりましたね。
    今日、コンサートの帰り道、久しぶりに本厚木の有隣堂へ足を運んできました。最近はネットで本を買うことが増えましたが、やはりリアルの本屋さんは貴重な存在です。ずらりと並ぶ背表紙を眺めているだけで、今の世の中の「空気感」やトレンドが伝わってきて、知的な興奮とともに身が引き締まる思いがします。

    また、有隣堂といえば充実した文房具コーナーも楽しみのひとつ。
    実は私、万年筆が大好きでして、先日ついに愛用の「PARKER(パーカー)」を修理に出してきました。
    昨年のこと、長年連れ添った経年劣化のせいか、軸が微妙に曲がり始めてしまったのです。「おや?」と思って自分で直そうとしたところ……グニャリ。あの瞬間のショックといったら、言葉になりませんでした。ですが、修理をお願いできると聞き、今はホッと胸をなでおろしています。
    手元に戻ってくるのはもう少し先ですが、直った暁には、これまで以上に愛着がわくに違いありません。
    春からの新しい書き物。相棒の帰還を、心待ちにしている今日このごろです。

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