日々の雑感

日々の雑感

老いを語り、いたわり合うトラットリアの宴

行楽の秋。やはり人との出会いや再会は、この季節に限る。
「涼しくなったらお会いしましょう」なんて山ほど交わした約束が、いま、カラッとした社交の季節となって一気に動き出す。

同窓会、英語で言えばリユニオン。過去と再会し、己の時間を巻き戻す。
立ち止まり、ルックバックし、自分が何者であるのか、かつて何者であったのかを再確認する時間だ。

いつものトラットリアで、学び舎の友たちと再会した。
話題といえば、「マイ健康ブーム」の報告会。水泳にジョギング、トライアスロンから会員制スポーツクラブでのトレーニング自慢まで、健康オタクたちのハツラツとした情報交換に花が咲く。お互いを心底いたわり合い、エネルギーをチャージし合う、じつにいい会合になった。

これから来月にかけて、同じような集まりがまだまだ続いていく。老いをともに語り合える友がいることに、ただ感謝したい。

高齢者支援は人のためならず。
Grow old along with me.

日々の雑感

タイム・イズ・ライフ。猛暑での再会と、秋の夜長に勤しむ「老年学」

成川美術館から望む7月の芦ノ湖。秋の箱根はどんな表情を見せてくれるのか

あっという間に終わるのは、夏休みの宿命でしょうか。
この間まで「たっぷりある」と思っていた時間は、一体どこへ行ってしまったのやら。
カレンダーを眺めながら、迫る新学期を前に現実逃避を決め込んでいる全国のちびっ子たちと、今の私はまったく同じ心境です。

タイム・イズ・マネー(時は金なり)。
そして、タイム・イズ・ライフ(時間は命そのもの)。

そんなことをふとセンチメンタルに考えさせられるほど、この夏も、本当にたくさんの素晴らしい出会いに恵まれました。

灼熱の鎌倉から、世界を覗く

鎌倉のシンボルともいうべき大仏を本尊とする高徳院も大賑わい

まずは、かつて混沌とエネルギーの地・インドで出会ったSunnyが、突然の来日。よりによってこの酷暑の中、妻の「鎌倉を案内したい!」という名案に従い、汗だくになりながら古都を巡ってまいりました。

さらに別の日、欧州在住の親類とも久々の再会を果たし、和食三昧で積もる話に花を咲かせたのもプレシャスなひとときでした。

彼女らと話していると、日本にいながらにして、話題がごく自然にグローバルな方向へと広がっていくから不思議です。もはや「世界」は、海の向こうの遠い場所ではないのだと肌で実感します。私たちの日常はすでに、地球規模のネットワークと地続きになっているようです。

秋の夜長に、自分ファーストな企てをひとつ

楽しい宴の後には、決まって少し寂しい秋の気配が忍び寄るもの。
気分はもうすっかり秋ですが、ただでさえ「頭と腰」が頼りの仕事柄、この秋は少し毛色の違う「企て」をスタートさせようと考えています。それが、以前のブログでも少し触れた「老年学(ジェロントロジー)」の本格的な探究です。これは、シニアの皆様の理想的な生き方や、住まいをはじめとするリアルなリスクをサポートするための実務的な学問です。

ここで得る知識は、今の業務に役立つのはもちろんのこと、少しずつ「老い」のステップを上り始めた自分自身にとっても、かけがえのない財産となりそうな予感がしています。

世界を見据える「ビザ・在留資格手続き」から、人生の後半戦を健やかに生き抜くための「高齢者支援」まで。国境を越えるお悩みも、未来の安心への備えも、どうぞお気軽にご相談ください。

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平和を噛みしめたあと、数十年ぶりの宮島で海外旅行気分に浸る

8月6日の「原爆の日」を前に、平和記念式典の準備が進む平和記念公園

夏休み突入、私の絵日記特集にようこそ。
今年の妻との夏旅行は、少しばかりの思索を携えて、広島の地を選びました。
まずは、あの「濃厚な一通の契約書」――日本国憲法とも深く結びつく、平和記念公園へ。広島平和記念資料館に一歩足を踏み入れると、そこは国籍を問わず、世界中から集まった人々で満ちていました。

誰もが言葉を失い、展示された写真やキャプションの一言一言を、自らの人生に重ね合わせるように深く噛みしめて見入る姿が印象的でした。

瀬戸内異国情緒──パスポートなしで迷い込んだミヤジマを歩く

酷暑をも吹き飛ばす熱気。世界中からの旅人で賑わう夏の宮島

歴史の重みを胸に刻んだあとは、数十年ぶりとなる宮島へ。
ところが、いざ上陸してみれば、そこはヨーロッパやオーストラリアからの観光客で溢れかえる、まさに「隔世の感」の極み。飛び交う言語に耳を傾けているうちに、なんだかパスポートなしで海外旅行に迷い込んでしまったかのような錯覚さえ覚えました。いろいろな国の人々と話が弾み、交流できたのも思いがけない喜びでした。

旅のもう一つの主役である「食」もしっかり満喫しました。お好み焼きに、大粒で濃厚な牡蠣、そして名物のあなごめし。どれもご当地ならではの絶品ばかりでしたが、実は一番ご飯が進んだのは、宿の朝食で静かに存在感を放っていた「海苔」だったというのは、まさに瀬戸内の神秘です。
日本の朝食の原点に、平和の尊さをあらためて味わうことができました。ごちそうさま。

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「師」と「士(サムライ)」の深層、そして頼れる街の法律家へ──行政書士のリアルな立ち位置

「真の正義とは何か」かつて侍ふものだった男の優しさが際立つ

(出典:Wikimedia Commons “Kinema Jumpo”, Special April 1961 issue. 『用心棒』Public domain)

このところ、仕事柄、頭の硬い部分ばかりを使うことが多いため、このブログでは、のびのびと「息抜き」をさせていただいています。ですから、今宵も思いついたことを、そこはかとなく書きまくります。どうかご用心ください。

さて、私たちが日常的に使っている「〇〇し」という資格の言葉ですが、実はこれには「師」と「士(サムライ)」という、漢字に隠された目に見えない職能のドラマが存在します。今回は、この二つの文字が持つ意味と、私たち行政書士のリアルな立ち位置についてから始めます。

「命を救う先生」と「戦うサムライ」の境界線

漢字の成り立ちを紐解きますと、この二つには明確な役割の違いがあります。
「師」は、もともと軍隊を率いるリーダー。転じて「人々を教え導く、最高位の指導者・先生」を意味します。
「士」は、武器を持って戦う「サムライ」。つまり、特定の専門スキルを武器に自立する「実務家」です。

医療界を見ると、この意味合いは実にしっくりきます。
頂点に君臨するのは、命の方向性を導く「医師(師)」。その周辺で、具体的な医療実務という名の武器を持って支えるのが、理学療法士や作業療法士といった「〇〇士」の方々です。

余談ですが、私たちの髪型を素敵に整えてくださる「美容師」さんも「師」の文字を冠しています。
サロンの鏡の前で、ハサミを操る彼らを「先生!」と呼ぶ文化がありますが、あれは日頃「自分のビジュアルの正解」を見失い、迷える子羊となった私たちを、美の境地へと教え導いてくれる「指導者」だと考えれば、漢字のジャンルとしては大正解。私たちは安心して身を委ねられるわけです。

一方、法律や経済の業界(法曹界・士業界)に行くと、今度は「士(サムライ)」こそが最高峰のブランドとなります。その筆頭が、ご存知「弁護士」です。明治時代、法律という名の刀を引っ提げて市民のために戦った、元・本物のサムライたちが創り上げた世界だからです。

なぜ日本の弁護士は「アメリカのように増えない」のか?

そんな法律界のトップである弁護士ですが、実は日本ではその数が国や業界によって厳しく「制限」されてきた歴史があります。
2000年代、日本もアメリカを見習って「法科大学院(ロースクール)」をたくさん作り、弁護士を大量生産しようと試みた時期がありました。誰もが気軽に訴訟を起こせる社会を目指したのです。
しかし、この計画は急ブレーキがかかることになります。理由は、日本人がアメリカほど「何でも裁判で白黒つけたい民族」ではなかったこと。そして、増えすぎた弁護士が「食えないサムライ」となって巷に溢れ、業界のロイヤリティや信頼性が崩壊することを防ぐという、業界内の強い引き止めがあったからです。
結果として、日本の司法はあえて弁護士の数を「制限」することで、その高い敷居と、お高い費用(笑)を今なおキープすることになりました。

【イートスの豆知識】実際、数字を見ると笑えないほどの格差があります。アメリカの弁護士数が約133万人(住民1万人あたり約39人)なのは訴訟大国ゆえとしても、ドイツ約17万人(住民1万人あたり 約19.9人)やフランス約7万5,000人(住民1万人あたり 約10.8人)と比べても、我が日本の約4万5,000人(1万人あたりわずか3.6人)という数字は、先進国の中で桁違いに少ないのです。ドイツやフランスでは弁護士が多いため、費用も国がコントロールして『市民の身近なインフラ』になっていますが、日本は数を徹底的に絞ることで、弁護士の平均事業収入約2,558万円という『高いステイタスと報酬』をしっかり守り抜いたわけです。

「高嶺の花」の裏で、行政書士が愛される理由

弁護士の数が制限され、敷居が高いままであること。――実はこれこそが、私たち「行政書士」が現代社会で必要とされている最大の理由です。
もし日本にアメリカ並みに弁護士が溢れていたら、ちょっとしたお店の許認可や、遺言書の作成といった地味な実務まで、すべて『弁護士先生の領域』として根こそぎ持っていかれていたかもしれません。 しかし現実には、弁護士の先生方は訴訟などの大仕事でお忙しく、費用もそれなりにかかります。そこで出番となるのが、私たち行政書士です。
私たちは、トラブルが起きてから裁判所で骨肉の争いをするサムライではありません。トラブルが起きる前に役所の複雑な審査(許認可)をスマートに通し、完璧な書類を作ることで「紛争を未然に防ぐ(予防法務)、コスパの良いサムライ」なのです。

AIには真似できない『息遣いのある用心棒』

今後、AIの進化によって「ただ役所の枠を埋めるだけの作業」は消え去るでしょう。しかし、国際化が進むビジネスのビザ申請や、複雑怪奇な最新ビジネスの許認可など、書面だけでは伝わらない、人間らしい息遣いのある真摯なやり取りや、信頼を築くためのかけひきが必要な領域では、私たちのスマートな機動力こそが真価を発揮します。
「弁護士に頼むほどの大ごとではないけれど、誰かに優しく導いてほしい……」
そんな時は、医療界の「医師」や、髪型を委ねる「美容師」さんのように、あなたの生活やビジネスに静かに寄り添うサムライがここにいることを、ふと思い出していただければ幸いです。

皆さまからのご相談を、敷居もお値段もお求めやすく、ジャストサイズに整えてお待ちしております。さあ、今すぐ……!

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法の太刀を抜く前に、一呼吸。大人の円満解決へのアプローチとは

向日葵が梅雨明けをもうすぐ告げる。山下公園から産業貿易センタービルを臨む

最近のブログときたら、すっかり私自身の認知症予防のリアルな日記と化しておりますが、十分承知の上です。単なる暑さのせい、どうかご容赦ください。
さて、昨日まで「令和8年度新入会員実務研修会」の前半戦へ行ってまいりました。

神奈川県行政書士会の各専門部を代表する先生方の講義は、噛めば噛むほど味が出る濃厚さ。ただ座って拝聴していただけのはずなのに、押し寄せる深遠な知性の熱量に圧倒。しかも夜になれば「高齢者特有の中途覚醒」も何処へやら、泥のように眠るという、嬉しい副作用もありました。

闘わずして、健やかに歩む道

さて、数ある貴重な気づきの中でも、特に私のハートを激しく射抜いたお言葉がこちらです。

「法的な解決では人を幸せにはできない」

法律の太刀を抜いて白黒つける前に、トラブルそのものを未然に防ぎ、行政との架け橋となって円満解決へのクッションを敷くこと。私の脳内ネットワークには、とっさに「ファイティング・ウィズアウト・ファイティング(闘わずして勝つ)」という、スタイリッシュな教えがよぎりました。
“That’s it.” そう、それこそが行政書士に期待されている、血の通った役割なのでしょう。
社会の荒波に揉まれて少々汚れっちまった私ですが、プロとしての志と感性だけは、今でもピッカピカの純粋そのもののようです。

日々研鑽で知性をアップデート。ご相談は、いつでもどうぞ

会場内は、寸分たりとも聞き漏らすまいとする先生方の熱気に包まれており、来週からはさらに実践的な後半戦の講義へと突入いたします。
夏の誘惑であるプールやかき氷を楽しむ時間はしばらくお預けにして、重い資料を片手に日本大通りへと通い詰めるストイックな日々が続きそうです。

当事務所は、皆様の大切なご依頼に常に最高の手続きでお応えできるよう、こうした研修を通じて日々さらなる研鑽に励み、知識のアップデートを重ねております。民事法務、国際業務など、様々なお困りごとのご相談は、いつでもどしどし受け付けております。

法律で争う前に、まずは壁のない歩きやすい道を一緒に探してみませんか?
皆様からのアクセスを、酷暑に勝るとも劣らないピッカピカの情熱を持ってお待ちしております

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門出を入梅で祝う坂の上、イートスの前に道はない

Sunrise on the Colva Beach and relaxing cows, Goa India Feb. 2025

久々のブログ更新。生あくびを噛みしめ、なんだか、ようやく心地よい夜が明けたような気分とでもいうのでしょうか。手元には、新しく届いた登録証。ふむ…。

「とっくの昔に行政書士をやっていたのでは」と思われるかもしれませんが、プロとしての本当の挑戦は、まさにここから始まるのだと身が引き締まる思いです。

人生の壁と坂の上の坂

しかし、嬉しいことに、生きていると人生、「坂の上にはまた別の坂」があるものです。
ビジネスの世界、そして何より大切なご依頼者様をお守りする戦場において、無計画なロケットスタートほど無責任で滑稽なものはありません。次なるご相談へ完璧にお応えするため、手元で確実なロードマップを敷いている最中でありました。

一、刃(やいば)を研ぐ:実務を完璧にこなすための、各種研修の徹底的な消化。

二、世界へ視野を広げる:国際業務の肝であり、海を渡る交易の切符たる「在留取次」のライセンス取得。

三、さらに高い壁を越える:特定行政書士という、さらなる“坂の上の坂”を見据えたシミュレーション。

これらはすべて、我が「イートス」を頼ってくださる皆様に、最大の果実(=最高の解決策)をお届けするための、冷徹かつ誠実な発射準備に他なりません。

気分はまさに、ご依頼者様のために抜刀の瞬間をじっと待つ武士の精神と、損得なしに最善のロジックを弾くインド商人のマインドが同居している状態です。幸いにも、先達が築いてくださった堅固なネットワークという心強い後ろ盾もございます。このリソースをどう皆様の利益に還元するか、静かに盤面を睨む日々は実に充実しております。

折しも季節は梅雨入り—自然や暮らしを支える「恵みの雨」

じっとりとした湿気や寒暖差に世間が揺らぐ中、私はこの静かな雨の季節を、皆様の難題を解決するためのエネルギーを凝縮させる「最高の雌伏の時」として穏やかに歓迎しております。次に訪れる灼熱の太陽の下、誰よりも力強くお役に立つための助走期間は、すでに終盤です。

来年早々には、もはや新春の恒例となった混沌とエネルギーの地・インドへ渡り、現地のタフな商人と丁々発止の交渉を繰り広げ、さらに一回り大きくなって帰ってくる予定です。

照準はすでに定まり、心は至って健やか。
皆様をお迎えする仕掛けは整いました。ご相談は、どうぞお早めに。

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五月晴れの空の下、書き換えられる「台本」

行政書士として日々「法」という名のルールに従っておりますと、時折ふと思うのです。このルールを書き上げているのは、あの「ぎゅうぎゅう詰め」の密室で熱い議論(あるいは主導権争い)を繰り広げている先生方なのだわ、と 。

再審制度を見直す改正案を巡り、検察官の抗告「原則禁止」で本則修正へ 自民に提示、了承の公算 | 文春オンライン

爽やかさの裏に透ける「妥協の産物」

「悪法もまた法なり」とは申しますが、新緑の季節にさらりと本則に盛り込まれた「検察官抗告の原則禁止」も、結局は政治家とお役人の間で生まれた、絶妙な妥協の産物なのかもしれません。冤罪救済という爽やかな正義の表看板の裏で、どこか“やりました感”の演出が静かに進んでいるようにも見えてしまいます。

視線の先にある「次のステージ」

そして、この熱狂の先に見え隠れするのは、国家の骨組みたる「憲法改正」の影。次なる大きなステージに向けて、これからどんな「鮮やかなパフォーマンス」が繰り広げられるのでしょう。
わたくしたち法律の隣接職種にできることは、美しい「新緑の演技」に惑わされず、ちょっと冷めたハーブティーを片手に、法の行方を厳しく、かつ少しとぼけた顔で見守ることくらいでしょうか。

五月晴れの空の下。行政書士たるもの、政治のドラマに中(あ)てられることなく、ただ静かに、「品位」を保って凛とした初夏を歩んでいこうと思うのです。

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100年目のボケと、平和の「取扱説明書」

夏も近づく八十八夜 Tea plantations and snow-capped Mount Fuji

憲法記念日が過ぎ、世の中の喧騒が少し落ち着いたところで、あらためて「この国のカタチ」について、遠い目をして考えてみました。

ぼうっと眺めて、感じる危うさ

5月3日、世間がゴールデンウィークの浮かれモードに包まれる中、私は一人、憲法という名の「驚くほど薄く、しかし極めて濃厚な一通の契約書」をめくっては、その条文をぼうっと眺めていました。
そこで頭をよぎるのは、昨今のあまりに前のめりな改憲議論です。武器輸出の解禁や防衛予算の大幅増など、本来は国会で熟議すべき重要事項が「閣議決定」というショートカットで次々と進んでいく。改正そのものが自己目的化したような今の世相は、まるでブレーキのない車を全力で走らせようとしているかのようで、底知れぬ危うさを感じます。

一つのベクトルに向かって、危うい加速

戦後八十年余、過去を振り返ってみても、これほどまでに異様な喧騒(けんそう)が渦巻く状況は珍しいものです。改憲を急ぐ「前のめりな人々」と、その熱量に煽られる人々。よく分からないまま追随する層がいれば、この混乱を好機とばかりに利用せんとする者たちもいる。それぞれの思惑はバラバラなはずなのに、なぜか全体としては「改正ありき」という一つのベクトルに向かって、危うい加速を続けている。見ようによっては、「緊急事態条項」や「9 条」の議論が、本質を置き去りにしたまま、単なるムードや多数決の論理だけで押し切られようとしている感は否めません。

民主主義の危うさは「多数決が常に正しいとは限らない」という点にあります。
勢いに任せて一度手放してしまった権利や、権力を縛るための「制限のタガ」を元に戻すことは、歴史を紐解けば極めて困難であることがわかります。
日本国憲法が持つ、どんな時代の変遷にも揺るがない「普遍性」の尊さは、紛れもない事実なのです。

憲法を「スマホ感覚」でアップデートしたがる人々

近年の傾向としてありがちな、ネットの「論破師」たちが、憲法という最高法規をスマホのOSアップデートか何かのように「早く新しくしろ」と急かす姿には、少々めまいがします。
中身のコード(条文)も読まずに、「最新版なら良くなるはず」と思い込むその無邪気さ。
「書類の不備」をチェックする身からすれば、そんな軽やかなノリによる「契約変更」には、なかなか首を縦には振れません。

報じられない「トリセツの書き換え」

本来、国家の根幹に関わる「緊急事態条項」の危うさや「9条」の矛盾こそ、新聞や公共放送が「中立な立場」で、徹底的に解剖して国民に伝えるべきでしょう。しかし、今年の憲法記念日の報道を見渡しても、目に映るのは「改憲に意欲」という政局ニュースばかり。
条文の中に潜む、かつて某国が独裁の足がかりとした「全権委任法」に似た危うい構造や、二枚舌のような論理の綻びを、正面から検証する姿勢はどこへ消えてしまったのか。

知のインフラであるはずの放送波を削ることに汲々とする一方で、これほどまでに重要な「法の不備」をスルーし続けるメディアの姿には、一抹の寂しさを覚えます。

Pros and Cons… Which way should we go? Say a few words? Well, let’s hope that we continue to live.

八十八夜、お茶と「平和の味」

夏も近づく八十八夜。今はただ、淹れたてのお茶を啜り、柏餅を頬張る。
そんな平穏なひとときが、実はこの「濃厚な契約書」によって守られているのだと、ふうっと一息つきながら、ただ感謝して噛み締めています。

マスコミが伝えない「餅で包まれたあんこ(矛盾だらけの改憲案)」の喉に絡みつくような不思議な甘ったるさを、お茶で流し込みながら。

茶のお代わりを飲み干す頃には、少しは穏やかな気持ちで明日を迎えられるでしょうか。

そんなことを思う、憲法記念日の午後でした。

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海老名イオンの閉館に「スター・ウォーズ」の奇跡を見た。~抜かぬ宝刀としての法律~

多くのファンで賑わうロビー。最後の上映を待つ熱気に包まれていました。

46年の歴史に幕を閉じる場所で昨日、妻と海老名のイオンシネマへ映画を観に行ってきました。この建物は、5月17日をもって取り壊しが決まっています。約50年もの間、名前を変えながらもこの街に寄り添い、貢献し続けてきた大型ショッピングセンター。その最後の日が、刻一刻と近づいています。

鳴りやまない拍手と、蘇る記憶

この閉館に合わせたのか、上映されていたのは1977年の名作『スター・ウォーズ』第1作でした。会場には多くのファンが集まり、ラストシーンでは大きな拍手が沸き起こりました。さらにエンドロールが終わるまで誰一人として立ち上がらず、再びアンコールの拍手が鳴り響く。そんな奇跡のような感動的な場に、私たちは居合わせることができました。

私にとってこの作品は、高校時代に初めて観た思い出の一本です。続く2作目は、ホームステイ先のアメリカで観ました。郊外の巨大なシネコンで山盛りのポップコーンと大きなコーラを抱えて、子供たちだけで楽しんだのを思い出します。(ラスト場面のハン・ソロの生死は、当時の私の語学力に関係なく誰にとっても謎だったのですね)

法律とは「抜かぬ宝刀」であるべき

ジョージ・ルーカス監督の描く世界には、東洋思想がふんだんに盛り込まれています。劇中の象徴的な言葉「フォース(理力)」を、私の仕事に置き換えるなら、それは「法律」や「遺言書」という言葉がしっくりきます。

劇中、ベン・ケノービがルークに「信念のない者には、特にフォースが効く」“The Force can have a strong influence on the weak-minded.” と説く場面がありました。私の持論ですが、法律も同じです。法律とは、倫理や常識がどうしても通用しないときにだけ使い、威力を発揮させるべき「最終手段」であるべきだと思うのです。

最初からライトセーバー(刀)をブンブンと振り回すようなことは、決してあってはならない。私たちが扱う「法律」という力は、大切なものを守るための、静かなる守護者であるべきだと再確認しました。

寄せ書きに込められた「ありがとう」

46年間の想いが詰まった寄せ書き。一つひとつの言葉に、この場所が愛されていた証がありました。

帰り道、1階に展示されていた「46年間の感謝の寄せ書き」に目が留まりました。そこには、小さな子供の字で「さようなら、楽しかったよ!」というメッセージが。その純粋な言葉に、思わず胸が熱くなりました。

見上げると、夜空には大きなお月様。「私もこんな風に、誰かの人生に寄り添い、心から喜ばれる仕事をしていきたい」帰り道の夜風に吹かれながら、そんな決意を新たにした一日でした。

May the Force be with you. フォースとともにあらんことを。

追伸:アメリカで見た「始まり」と、海老名で看取る「終わり」

50年近く海老名の街を見守ってきたこの建物も、5月17日でその役割を終えます。

アメリカの巨大なシネコン(当時は日本に無かった新世界)を観た私が、偶然にも日本初のシネコン(イオンシネマ海老名・旧ワーナー・マイカル・シネマズ海老名)の最後を、同じ作品で看取るとは…。今でこそ日本にも当たり前にあるシネコンですが、1980年当時のアメリカで見たあの巨大な劇場の風景は、まさに『未来』そのものでした。あれから40数年。この場所で、再び同じフォースを感じていることに、不思議な縁を感じずにはいられません。

日々の雑感, 高齢者支援

消えた中波の砂嵐、デジタル化の憂鬱

AMラジオの雑音を友にする

遠ざかる「砂嵐」の音と、変わりゆく放送の姿

雨続きの花冷え、窓の外はどんよりとした灰色。

2026年3月29日、NHKラジオ第2放送がひっそりとお隠れになりました。

その最大の理由は、NHK全体の「経営のスリム化」と「メディアのインターネット移行」。
実は、NHKだけでなく民間放送(AM局)も大きな岐路に立っています。
現在、全国の民放AM局の多くが、2028年までにAM放送を休止し、FM放送(ワイドFM)へ一本化することを目指しているそうです。

この「切り捨てられ感」、中波放送の温もりを知る世代としては、胸の奥がチリチリと焼けるようです。

「心の拠り所」を社会の隙間に落とさないために

一人暮らしで、AMラジオを友にする高齢者の方々は、どう思われるでしょうか。

私の生業である「高齢者支援」の現場でも、これは他人事ではありません。
支援の本質は、書類を整えること以上に、その人の「心の拠り所」を社会の隙間に落とさないこと。

デジタルの荒波に、アナログの「通訳」を添えて

でも、嘆いてばかりいても、何も生まれてはこないし、湿っぽい顔は、士業としての名が廃ります。
ここはひとつ、アナログの深みとデジタルの荒波の両方を知る60代の私が、お節介を焼くしかないのでしょう。

「ポッドキャストって、要は録音されたラジオですよ」
「サブスクは、無限に流れる有線放送みたいなもんです」

行政書士という仕事も、難しい法律の皮を剥いで、分かりやすく伝える翻訳者のようなもの。
そんな風に、ハイテクの皮を剥いで、皆さまに「新しい楽しみ」を強引にでもねじ込んでいく。
それが、激動の時代に挟まった私なりの、ささやかな「お手伝い」なのかもしれません。

いつの間にか雨は止み、雲の隙間から春の光が。
それでも私は、ラジオの向こう側にあった『誰かと繋がっている感覚』を、デジタルという新しい手段で提供し続けたい

おセンチな気分を脱ぎ捨てて、さて、次はどのサブスクでディランを楽しみましょうか。
指先一つで思い出にアクセスできる便利さを、少し呪いながらも、ちゃっかり享受して生きていこうと思います。

参考:NHKラジオ再編のお知らせ

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