日々の雑感

日々の雑感

登録予定日の朝に知った、まさかの「乱れ」

「期待の朝」の出来事

4月15日。本来であれば、ついに「行政書士」という新たな次元へとアセンションを果たす記念すべき日……のはずだった。
朝から連合会の検索システムにアクセスし、リロードを連打する。
しかし、画面に私の名は現れない。
門前払いされたかのような、春の朝とは思えぬうすら寒い孤独が、指先に伝わってきた。

事務局への電話と判明

ヨーガの本質とは己への回帰、限界を知ることだ、と深呼吸を一つ。
意を決して事務局へ電話を投じた。

「手続きは順調で、5月1日登録予定となっております」――。
受話器から流れてきたのは、慈悲なき確定事項であった。

3月初旬の登録入会説明会と同時に申請を済ませ、自分としては万全を期したつもりだった。
だが、年度末という名の巨大な「カルマ」の渦には、個人の熱量など無力だったようだ。

私のやる気だけが、春の穏やかな時空を所在なげに漂っている。

理性を失いかけた自分を笑う

あまりの虚無感に苛(さいな)まれ、一時は「無頼旅再開」とばかりにバックパックを背負いかけた。
しかし、ふと思い出したのは、1月下旬にインドのドミトリー、その薄暗い二段ベッドの下で密かに合格を知ったあの日のことだ。

人生、予定通りにいかないことなど、もう嫌というほど味わってきた。
ようやく辿り着いた合格という光の中にいてもなお、ふと「もしそうでなかったら」という影を隣に感じてしまう。
けれど、その影が濃ければ濃いほど、今手にしている光の温かさはより鮮烈に増幅されていくのだ。

あの瞬間の不思議な感覚は、どこからか届いた「まだ早い、もっと精神を研ぎ澄ませ」という啓示だったのかもしれない。

前向きな猶予期間

私の乱れた気配を察したのか、妻が「国内旅行でも行ってきたら?」と、菩薩のような言葉をかけてくれた。あえて、「国内」というところがいじらしい。

5月29日の証票交付式まで、天がくれた少し長めのプロローグ。
この「宙ぶらりん」なステータスさえも、いつかは愛おしく感じられることだろう。

予期せぬ停滞に、静かに感謝を

5月1日、名簿という名の「選ばれし者のリスト」に名前が載る瞬間を、私はどこで迎えるのか。
新緑のエネルギーを吸い込み、開業に向けてのんびりと刃を研ぎ直すとしよう。
まあ、人生なんて、そんなものだ。

……またひとつ、待たされる側の『痛み』と焦燥を知った。
この痛みを知る者として、5月からは誰かの盾となり、人生を支える柱となる。そのための準備期間だ。
ありがとうよ。

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サクラ・アウト老(ロウ)の煩悩と、雑草という名の悟り

今年の春は、どうやら「桜」という名の魔法に深く心酔してしまったようです。
二月の河津桜を皮切りに、九段下の夜桜を二週間もストーキングし、箱根、山北、湘南平、そして秦野のさくらみち……。目に入る桜という桜をスマホに収め、まるで自分の手柄かのようにソーシャルメディアに放流しては、独り悦に入っておりました。

「映え」という名の煩悩に突き動かされ、自慢げに投稿を繰り返すその姿。端から見れば、老いを受け入れつつも抗う、自意識過剰な「サクラ・アウト老」の完成です。

草むしりもまた春の風物詩

しかし、祭りは唐突に終わります。葉桜とともに訪れたのは、実家の庭という「剥き出しの現実」でした。妻と二人、無心で草をむしる。先ほどまで愛でていた桜と同じ「植物」のはずなのに、こちらは容赦なく排除の対象となる。この理不尽な線引きこそが、人間の「業(ごう)」というものでしょうか。

プロの植木屋の手によって見違えた庭を眺め、その圧倒的な生命力の前に、私はただ白旗を振るしかありませんでした。抗ってはいけない。自然の勢いには、ただ伏して従うのみ。

かつて昭和天皇は「雑草という草はない」と仰ったそうです。どんな名もなき草にも名前があり、命がある。自分の都合で「愛でるもの」と「排除するもの」を仕分けていた己の浅ましさを、抜いた草の山を前に思い知らされました。
なすがままに、名もなき命を面白がる。そんな諦念(ていねん)にも似た境地が、実は一番贅沢で、かっこいい生き方なのかもしれない。そんなことが分かり始めてきた年代。

「なすがまま」にも一工夫

作業の後の冷えたワインが、驚くほど五臓六腑に染み渡ります。多くの「終い支度」をお手伝いすべき行政書士として人生もまた、庭の手入れに似ていると感じます。

生い茂った不安や執着を整理し、自分にとって本当に大切な「桜」だけを心に残す作業。

時にはプロの手を借りて、すっきりと風通しを良くしておく。
「なすがまま」に、軽やかに余生を楽しむためには、実は少しだけ「事前の整理」が必要だったりするのです。

庭の草むしりのついでに、心の「終活」も少しずつ。グラス片手に渋味の余韻に浸りながら、ついそんなことを考えました。

葉の混じった桜も、またオツなもの。季節は巡る。
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平塚の波音と湯気の向こうに、5000万ソロの影

平塚の砂浜に打ち寄せられた流木に腰を下ろし、相模湾から昇る朝日を拝む……。
そんな「丁寧な暮らし」風のポーズを決めつつも、頭の中では「老後の孤独」と「ラオシャンのタンメン」が交互に押し寄せるのが、令和を生きるアラ還の日常です。

今や、若者の二人に一人が独身という「超ソロ社会」。自由を謳歌する一方で、ふとした瞬間に忍び寄る「身寄りなし問題」という名の砂粒のような不安。未婚に「離別・死別」を加えた独身者数は約5000万人に達しており、有配偶者数とほぼ同数です。
果たして私たちは、人生の幕引きをスマートにデザインできるのでしょうか。

今回は、平塚の海辺で独り、未来の安心をパッキングする「おひとり様」のための未来戦略について。行政書士の視点から、少しシュールに、かつ実務的に紐解いてみたいと思います

日本人の半分が独身になる時代

私の周囲にも、独身生活を謳歌している方は多くいます。今や、独身研究家という方がいて、その荒川和久(あらかわ かずひさ)氏によると日本人の半分が独身になる時代だそうです。これは、国勢調査などの公的な統計を元に算出・提唱している「超ソロ社会」に関する予測データが有力な出所です。

独身にも二種類あって、自らすすんで独身の「選択的非婚者」とそうでない「不本意未婚者」がいるそうです。前者は約20%で、残りは後者だそうです。
彼は「結婚しないと不幸」という呪いから脱却せよとも主張していますね。たしかに、平塚の街を歩いていても、二人に一人は「ソロ」なのだと思えば、独身の肩身が狭いなどという時代は終わったのかもしれません。

かつて七夕祭りの人混みの中で、きらびやかな竹飾りの影に隠れ、カップルたちの熱気に当てられていた日々が懐かしく思い出されます。今となっては一人、花水ラオシャンで酸味の効いたタンメンをすする時間こそが、至高のデトックス。澄んだスープに浮かぶ玉ねぎを無心で追いかけていると、煩わしい人間関係など、酢の力で溶けていくような気がいたします。とはいえ、新しく整備された「ひらつかシーテラス」を眺めれば、考え方は人それぞれ、そこには賛否両論の波が静かに打ち寄せています。

「自分じまい」の準備はいかに

少子化という大きなうねりはさておき、個人的に気になるのは、自分という存在の「店じまい」の方法です。介護、葬儀、そして遺された家。平塚の心地よい潮風に吹かれながらも、頭の隅をよぎるのは「私の最後の手続き、誰がやってくれるのかしら?」という、非常に現実的な砂粒のような不安でしょう。

そこで、私たち行政書士の出番でございます。「身寄りがない」ことは、決して心細いことではありません。むしろ、自分の最期を自分のセンスでプロデュースできる「自由」があるということ。「遺言書」で財産の行き先をスマートに決めたり、「死後事務委任」という契約で、葬儀や片付けをあらかじめプロに託したり。それは、七夕の短冊に願いを書くよりも、ずっと確実におのれの未来を守る儀式なのです。

ソロで生きる強さと、事務手続きによる安心感。平塚の海のように、穏やかで淀みのない余生をデザインするお手伝いができればと思っております。一度、あなたの「バックアッププラン」についてお話ししてみませんか。

法的な備えで安心の旅路を

太陽は、リア充にもソロにも平等に昇ります。ひらつかシーテラスを黄金色に染める朝焼けを眺めながら、私は確信しました。

独身という名の自由な海を漂うには、コンパスとなる「備え」が必要なのだと。
ラオシャンのタンメンが朝の胃袋に染み渡るように、法的な準備があなたの未来に安心を届けます。

「私の一生、これでいいのかしら?」という、形のない不安の雲が朝日に溶けていくまで。平塚の海辺で、あなたの声を静かにお待ちしております。

平塚の海岸にて、漂着した流木を玉座に、昇りゆく朝日を拝む無頼の肖像。
江の島の灯台が、まるで「超ソロ社会」を優しく見守る監視塔のように、朝焼けの中に佇んでいます。

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お墓の不安を解消する、法事の席でこぼれた「誰にも迷惑をかけたくない」という本音

今日、親戚の法事に参列しました。久々に顔を合わせた親類たちと静かに語らう中で耳にしたのは、将来のお墓に関する切実な不安でした。

「自分がいなくなった後、このお墓は誰が見てくれるんだろう?」

「残された子どもたちに、あとの手続きで苦労をさせたくない……」

共通していたのは、周りを思うがゆえの「誰にも迷惑をかけたくない」という、優しくも切実な願いでした。

法事のあとの直会(なおらい)では、そんな不安が枝から枝へと移るように広がり、いつしか解決への糸口を探る対話の花が見事に咲いたのです。

「その不安」をどう解消するか:墓じまいと改葬のサポート

まず、多くの方が誤解されがちなのがお墓の仕組みです。実はお墓の土地は「所有」しているのではなく、あくまで「使用権」を借りている状態に過ぎません。そのため、お墓を使い終えるときにはお寺や霊園へ返還する必要があります。

しかし、そのために必要な「改葬許可申請」などの行政手続きは、非常に複雑で手間がかかるものです。そこで私たち行政書士は、役所への書類提出やお寺とのやり取りを代理し、スムーズな墓じまいをサポートします。

例えば、最近増えている樹木葬や海洋散骨など、管理の負担が残らない「永代供養」への切り替えを検討する際も、事務手続きの面からお力添えが可能です。

「死後の片付け」をあらかじめ予約する:死後事務委任契約

また、お墓のこと以上に心配されるのが、亡くなった直後の実務的な片付けです。
「家の片付けや役所の手続きを誰に頼めばいいのか」という不安に対しては、「死後事務委任契約」が大きな支えとなります。

これは、葬儀の手配から遺品整理、公共料金の解約、さらにはSNSなどのデジタル遺産の整理に至るまで、あらかじめプロである行政書士に任せておく契約です。これを結んでおくことで、親族に実務的な負担を一切かけることなく、ご自身の希望通りに人生を締めくくることができます。

「もしも」の時に備える:見守りと遺言のセット

さらに、将来への不安は亡くなった後だけではありません。「元気なうちはいいけれど、もし認知症になったら? 財産の管理はどうなるの?」といった声も聞かれました。

そのような場合には、「任意後見契約」「遺言書の作成」をセットで備えることをお勧めしています。「親族には、ただ『思い出話』に花を咲かせてほしい。面倒な手続きはプロに任せてあるから大丈夫」と言い切れる状態を作ることが、ご自身にとっても周囲にとっても最大の安心材料になります。

結びに:一人で抱え込まず、プロという選択肢を

「誰にも迷惑をかけたくない」という思いが強い方ほど、つい一人で悩み、動けなくなってしまうものです。しかし、行政書士はその想いを「契約」という形にして確実に守る伴走者です。

親族だからこそ、かえって言いにくいこともあるでしょう。そんなときは、まずはプロという選択肢を頼ってみませんか。法事の日の空に咲く花のように、あなたの心にある不安も、きっと晴らしていくことができるはずです。

「この話に枝から枝にいつしか咲いたよ 見事な花が」不安を安心へ。
枝から枝へと言葉を紡げば、いつしか心に見事な花が咲くものです
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消えた中波の砂嵐、デジタル化の憂鬱

雨続きの花冷え、窓の外はどんよりとした灰色。
2026年3月29日、NHKラジオ第2放送がひっそりとお隠れになりました。

その最大の理由は、NHK全体の「経営のスリム化」と「メディアのインターネット移行」。
実は、NHKだけでなく民間放送(AM局)も大きな岐路に立っています。
現在、全国の民放AM局の多くが、2028年までにAM放送を休止し、FM放送(ワイドFM)へ一本化することを目指しているそうです。

この「切り捨てられ感」、中波放送の温もりを知る世代としては、胸の奥がチリチリと焼けるようです。
一人暮らしで、AMラジオを友にする高齢者の方々は、どう思われるでしょうか。

私の生業である「高齢者支援」の現場でも、これは他人事ではありません。
支援の本質は、書類を整えること以上に、その人の「心の拠り所」を社会の隙間に落とさないこと。

でも、嘆いてばかりいても、何も生まれてはこないし、湿っぽい顔は、士業としての名が廃ります。
ここはひとつ、アナログの深みとデジタルの荒波の両方を知る60代の私が、お節介を焼くしかないのでしょう。

「ポッドキャストって、要は録音されたラジオですよ」
「サブスクは、無限に流れる有線放送みたいなもんです」

そんな風に、ハイテクの皮を剥いで、皆さまに「新しい楽しみ」を強引にでもねじ込んでいく。
それが、激動の時代に挟まった私なりの、ささやかな「お手伝い」なのかもしれません。

いつの間にか雨は止み、雲の隙間から春の光が。
おセンチな気分を脱ぎ捨てて、さて、次はどのサブスクでディランを楽しみましょうか。
指先一つで思い出にアクセスできる便利さを、少し呪いながらも、ちゃっかり享受して生きていこうと思います。

参考:NHKラジオ再編のお知らせ

AMラジオの雑音を友にする

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孤独を「孤高」へ昇華させる、大人のためのお守り

四月、すべての始まり。
葉桜さえ芽吹けど、雨はしとしと、しとぴっちゃんと降り止まず、心身に孤独のカビが繁殖しそうな寒さです。

一昨年施行された「孤独・孤立対策推進法」。国がわざわざ「孤独は有害」と定義した事実に、自由を謳歌する身としては背筋に冷たいものが走ります。
統計を見れば、独居世帯はうなぎのぼり。タワマンの灯りの数だけ、虚無を抱えてスマホを凝視する魂があると思うと、目眩がいたします。

自由でリラックスできる社会の裏側で、地域との繋がりは希薄。
挨拶のない日常という「無菌状態」は、高齢化とともに、ずしりと重く身に応えてくるはずです。

当然、行政も対策に奔走していますが、私たち行政書士ができること。それは、皆様が「おひとりさま」としての矜持を保ちつつ、安心してこの世を去るための「契約」という名の護符(お守り)を授けることです。

見守り契約:孤独という闇に、定期的な安否確認という「生存証明」の光を。

任意後見:「あれ、何だっけ?」と、綾小路きみまろさんのネタになる前に、備えあれば憂いなし。未来の自分への、最高に優しいギフトです。

死後事務委任:葬儀や遺品整理……魂の「出口戦略」を法的にガード。

人は一人で生まれ、一人で死んでいく。それは逃れられない摂理であり、あまりにも重すぎる永遠のテーマです。死に直面したときにその答えが出るのかは分かりませんが、せめて法的な「結界」だけは盤石に。孤独が「孤高」という名の高潔なものに変わるよう、全力で見守らせていただきます。

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高齢者の「制度」を「納得」に変える、一番身近な支援

先日、離れて暮らす父のもとに、帯状疱疹ワクチンの利用券が届きました。
行政からの通知は、一枚のはがきに必要な情報が集約されており、非常に効率的で洗練されたレイアウトだと感じます。
しかし、制度として正確であればあるほど、高齢の当事者がその内容を短時間で正しく理解するのは、想像以上にハードルが高いという現実もあります。

「生ワクチン」と「不活化ワクチン」、効果の差はどこにあるのか。副反応はどうなのか。そして、高齢の体に2回接種する負担はどの程度なのか。

行政書士として高齢者支援を掲げていながら、いざ自分の親のこととなると、最適な「解」を見つけるのは案外難しいものだと実感しました。

行政のホームページを参考に作成

検討の末、私たちが選んだのは「生ワクチン」でした。高い予防率を追求するよりも、体への負担の少なさと、1回で済む手軽さを優先したのです。
「万が一の時にひどくならないための、2,700円のお守り」
そう伝えると、父も心から納得した様子でした。

制度の枠組みを正確に伝えるだけでなく、その方の「今」の生活や体調にどう寄り添うか。

今回の経験は、これからの高齢者支援の仕事にも通ずる、大切な視点を再確認させてくれる出来事となりました。行政が用意してくれた制度という「器」に、私たち専門家が「納得」という中身を注ぐ。
それこそが、行政書士としてできる地域への恩返しではないかと考えています。

日々の雑感

癒しの偶像、ヘルパーズ・ハイ

本日は父の生誕を祝うべく、不二家へと足を運びました。
店頭では、いついかなる時も変わらぬポーカーフェイスで舌を出すペコちゃんが迎えてくれます。あの計算し尽くされた可愛さに、一瞬でこちらの自我が吸い取られそうになりました。

さて、バースデーケーキを無事に確保し、店内を見渡すと、そこには懐かしのミルキーやルックチョコレートの群れ。眺めているうちに、私の脳内には日ごろお世話になっている方々の顔が、まるで数珠つなぎのように浮かんできたのです。摩訶不思議。これこそ、不二家がもたらす「恩返しの連鎖」でしょうか。

「この方にはパラソルチョコレートの癒やしを」「あの方にはカントリーマアムの母性を」……。
次々と恩人たちへの献上品を物色し、両手にお菓子を抱えて帰路につく私は、さながらサンタクロースか、はたまた「徳を積んだ直後の修行僧」のような、清々しくも悠々たる高揚感に包まれておりました。

普段、スーパーでワインや酒といった、己の煩悩を鎮めるための「生存物資」を買い出しに行く際の、あの生臭い達成感とは明らかに異なります。この多幸感を何と呼べば良いのでしょう。インドの「プラサード」の精神に近いのか、あるいは仏教における「布施」という名の徳行(徳ポイントの加算)なのか……。

帰り際、ショーケース前に1人佇むペコちゃんの頭をそっとなでて帰途につくと、まだ不思議なご機嫌モードが続いています。「ミルキーはママの味」に感謝。

※プラサード(Prasad)「神の恩寵」や「慈悲」を意味

「癒やしの偶像」ペコちゃん。その視線の先にあるのは…
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洒水の滝、あの日言えなかったこと

前回の「洒水の滝」の記事、読んでいただきありがとうございました。
実は、あの滝の前で出会った老婦人とのやり取りのなかに、どうしても書き添えておきたい「ひとりごと」があります。

「川も、滝も……。不思議と、見飽きないですね」

私が……そう、独り言のように吐き出したとき、彼女が静かに、深く頷いたあの表情。それが今もふとした瞬間に蘇るのです。

滝を眺めていると、なんだか人生そのものを見ているような気分になります。
穏やかに流れていたはずの川が、ある日突然、断崖絶壁に突き落とされる。
逃げ場もなく岩に打ちつけられ、砕け散る。そんな、容赦のない「落差」の瞬間。
けれど不思議なことに、人はその激しさを「見事な滝だ」と称え、美しいと眺めます。

海に近いゆったりとした川もあれば、滝のように険しい場所もあり、時には水さえ枯れてしまう時もあるでしょう。
轟々と響く音を背に、私は自分の人生の「今」はどこだろうかと、しばし考え込んでしまいました。

あの時の彼女の頷きは、そんな人生の起伏をすべて知った上での、優しい共鳴だったのかもしれません。

皆さんの人生の川は、今、どんな流れの中にありますか?

落差の激しささえ、見事な美しさへと変わる洒水の滝

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春の滝に、独り語りを聴く

今日は妻とお花見ハイキングへ。
昨日の箱根の混雑に少々辟易したため、今日は妻の提案で山北町を選びました。
河村城址から洒水の滝、そして桜まつりを巡り、最後は温泉という贅沢な日帰りコースです。
休日の行楽日和にもかかわらず、私たちの選んだルートは意外なほど人影がまばら。静かな時間を、春風とともに味わうことができました。

名勝・洒水の滝で、たまたま出会った一人の老婦人と話が弾みました。
豪快な飛沫を眺めながらの会話。「次は富士山にも挑戦したい」という意欲的な言葉の端々に、ふと「一人暮らし」を連想させる響きが混じります。
「パートナーがいるっていいですね」――その一言に、実感がこもっていました。

現在、日本の単身世帯(独居世帯)は約2,110万世帯に達しており、全世帯の約38%を占めています。
「独り」であることの自由さと背中合わせの不安。行政だけでは手が届かない課題が、美しい滝の裏側にある深い淵のように、あちこちに潜んでいます。

「いつかはあの嶺へ」と語る彼女の瑞々しい向上心が、孤独や将来への不安に曇らされてしまうのはあまりに惜しい。
老後の安心を整えることは、単なるリスクヘッジではありません。
心置きなく「次の挑戦」を楽しむための、いわば人生の潤いを守るための土台作りなのだと再確認しました。
私たち「街の法律家」が伴走することで、その一歩がもっと軽やかになるのなら。

例えば、こんな「支え」の形があります。
見守り契約:定期的な連絡で孤独を和らげ、万一の異変に備える。
任意後見契約:判断能力が低下した際に備え、信頼できる人に財産管理を託す。
死後事務委任契約:葬儀や片付けなど、最期のアフターケアをあらかじめ受託する。

名瀑を前に、案外できることはたくさんあるものだと、しばし瞑想にでも耽っているような、神妙な面持ちになっていました。

最後は「桜の湯」で汗を流し、湯上がりには左手を腰に、きゅっと冷えた缶ビールの「粋な一杯」で締めです。
これからの相談業務も、その喉ごしのキレ味のごとく、清々しく取り組んでまいります。

見事な晴れ舞台。その刹那の輝きに、人は己を重ねる
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