相続・遺言

日々の雑感, 相続・遺言

トランプ氏狙撃事件に学ぶ「強かな安心」の設計図 —— 善意をシステムで完結させる知恵 「ステーキ2,600枚」を秒で寄付できた凄すぎる理由

人生の晩餐を台無しにしないための設計図づくりに作戦会議は欠かせない

Photo by Daniel Torok / Official White House Photo Copyright © 2026 President Trump holds court inside the Oval Office after the WHCD shooting

4月25日夜、ワシントン中心部のホテルで起きたドナルド・トランプ大統領の狙撃事件。
緊迫した映像の中で、私が注目したのは大統領の隣にいた女性、Weijia Jiang(ウェイジア・ジャン)氏の行動でした。CBS Newsの主任特派員であり、ホワイトハウス記者協会の会長も務める彼女は、銃声が響くパニックの中でもジャーナリストとしての職責を果たし、さらに中止が決まった直後、主催者として、2,600食分もの高級料理を即座に困窮者施設へ寄付する決断を下しました。

「善意」に頼る社会から「システム」が支える社会へ

日本であれば、「食中毒のリスクは?」「誰が費用を負担するのか?」といった責任や手続きの壁に阻まれ、結局は廃棄処分になっていたかもしれません。しかし、彼女には迷わず即決できる「裏付け」がありました。

アメリカという国は、多様な民族が争い、共存を模索してきた歴史ゆえに、法律や制度が驚くほど合理的かつ仔細に整っています。善意の行動を法的リスクから守る「良きサマリア人法」の存在や、有事の際の事前プロトコル(手順書)。これらが機能していたからこそ、彼女のサイン一つで即座に実行に移せたのです。

日本社会が直面する「阿吽の呼吸」の限界

これまでの日本は、同質性の高い社会の中で「言わなくてもわかる」「お互い様」という、いわば「阿吽の呼吸」による善意に頼ってきました。しかし、超高齢社会の進展で家族の形が変わり、外国人雇用の拡大で多文化化が進むこれからの日本において、従来の「曖昧な善意」は、時に「責任追及への恐怖」となって現場の判断を萎縮させてしまいます。
アメリカが積み上げてきた「合理的で強かなシステム」は、複雑な社会を生き抜くために不可欠な知恵といえるでしょう。

「まさかの備え」は、行政書士の仕事そのもの

このエピソードは、私が日々おこなっている相続や高齢者支援の仕事にそのまま当てはまります。

認知症の発症や突然の相続は、家族にとっての「日常の有事」です。その瞬間に、残された方々が迷わず最善の選択をするためには、ジャン氏が持っていたような「3つの要素」が欠かせません。

遺言書というシステム:争いを防ぎ、想いを繋ぐためのプロトコル

専門家の知識:法的リスクを回避し、安心を担保するバックアップ

任意後見という判断力:あらかじめ権限を託しておく仕組み

必要なのは「強(したた)かな安心」

仕組みを整えることは、決して冷たいことではありません。不確実な未来において、大切な人の「善意」や「想い」を確実に実行するための、最も温かい準備なのです。未来の日本がどんなに複雑な社会になっても、誰もが迷わず手を差し伸べられる。そんな「強(したた)かな安心」を、法的なデザインを通じて皆様と共に築いていきたいと考えています。

騒乱の中でステーキの行先を案じる必要がないように。あなたの人生の「大切な決断」が迷いなく実行されるための設計図を、一緒に描いてみませんか。

お手続きの最初の一歩は、こちらからどうぞ。

相続・遺言

「独身の叔父様」は、国のための貯金箱?〜親族に訪れる、まさかの現実〜

今月もいそいそと箱根山へ。土曜日、早朝の宮ノ下駅。ジョンもチャップリンも、そしてあなたの財産も、最後は誰の手に渡るのか。静寂の中で問いかける、人生のエンディングノート

皆様、ごきげんいかがでしょうか。
今年のゴールデンウィークは、お天気が少々ご機嫌斜めのようですね。
気温の変化も激しく、おひとり様ならずとも、体調管理には気が抜けない日々が続いております。
さて、街を歩けば「おひとりさま」向けのサービスが溢れ、孤独を謳歌するのが美徳とされる令和の世。
しかし、その自由の先にある、あまりにもドライな現実をご存じでしょうか。
特に、結婚もせず、お子様もおらず、ご兄弟とも疎遠……という、いわゆる「完全なる独り身」の紳士・淑女の皆様。
ご自分がポックリと逝かれた後、その愛すべき財産がどこへ向かうか、想像したことはおありですか?

コツコツ貯めても、最後はコッコ(国庫)行き?

実は、あなたが将来のためにとコツコツ積み上げてきた老後資金も、思い出の詰まったご自宅も、「遺言書」という名の魔法の杖がない限り、最終的には「国庫(こっこ)」という名の、底の見えない巨大な金庫へ吸い込まれる運命にあるのです。

国は、あなたが人生の「静かなる節制」に耐えながら守り抜いた財産を、威勢よく「はい! 喜んでぇ!」の掛け声とともに回収いたします。

「お国のために役立ててくれるなら本望……」と思えるほど、今の世の中、おめでたい話ばかりではございません。私たちが必死に守ってきた資産が、自分の望まない「どこぞの予算」や「きな臭い活動」の燃料にされるかもしれない――。そう考えると、人生の集大成がなんだか切ないものに思えてきます。

それなのに、お部屋に転がる脱ぎ散らかしたお召し物や、冷蔵庫の片付けには、国は一ミリたりとも手を貸してくれません。受け取るのは「きれいなお金」だけ。
……なんとも、きっぱりした現金な話です。

甥御さん、姪御さんに訪れる「ボランティアの極み」

ここで焦りを感じるべきは、実はご本人だけではありません。
皆様、ご親戚に「独身の叔父様・叔母様」はいらっしゃいませんか?

「叔父さんはお金持ちだから、いつか自分にもおこぼれが……」なんて、淡い期待を抱いている甥御さん、姪御さん。現実は、それほど甘くはありません。
法律という名の鉄のカーテンは非情です。遺言書がなければ、あなたはどれだけ叔父様の話し相手になり、どれだけお見舞いに行ったとしても、一円の財産も受け取れないどころか、「孤独死の後片付け」という重労働だけが回ってくる、ボランティアの極みのような役回りになる可能性があるのです。

【イートスの豆知識】
民法上、法定相続人となるのは、1.配偶者、2.血族相続人子、親、兄弟姉妹)だけです。
一方、家庭裁判所は、特別な事情があるときは、3親等内の親族叔父・叔母、甥・姪など)に扶養義務を負わせることがあります。
つまり、「もらう権利はないけれど、面倒を見る義務だけは発生する」という、世俗に生きる私たちには少々切ない事態が起こりうるのです。

独り者の矜持を、最後まで美しく

大事な財産を、ご自分の意思や信念とは無関係な「数字」にされてしまわないために。
そして、甥御さんたちが後片付けをしながらSocial Media(ソーシャルメディア)に恨み言を書き込まないために。今、私たちがすべきは「死後のデザイン」です。
行政書士という、法律のスパイスを効かせた執事のような存在が、皆様の人生のエンディングを「国への寄付」ではなく、大切な人への「愛ある配分」へと書き換えるお手伝いをいたします。

国へのプレゼントを否定するものではないけれど、可愛い(かもしれない)親族へ、あるいは、ご自分が心から応援したい活動へ。
独り者の矜持(プライド)を、最後まで美しく保とうではありませんか。

連休後半もお天気が安定しないようですが、皆様、お風邪など召されませんよう、どうぞ健やかにお過ごしください。

追伸:
「これは知らなかった、さて具体的な対策を……」と思われた意識の高い皆様。
具体的にどんな遺言書を書けばいいのか?という【実践編】を、近日公開予定です。
(もしくは:こちらの[取扱業務]をご覧ください)

日々の雑感, 相続・遺言

94歳の父と語った「アメリカとイラン」――戦後を生き抜いた知恵を次世代へ繋ぐために

戦争がなかった時代ってあるのだろうか

今朝、94歳になる私の父と、アメリカやイラン、そして緊迫する世界情勢について話をしました。
父は、太平洋戦争を直接経験した「生きる証人」です。戦前の重苦しい空気、焦土からの復興、そして戦後経済の驚異的な躍進。そのすべてを肌で感じてきた父を前に、私は自分なりの知識を総動員して、今の世界で起きていることを話しました。

「結局は、国々の利害関係と、目に見えない感情のぶつかり合いなんだと思う」
「北朝鮮が叩かれないのも、イランが狙われるのも、アメリカの経済的利益や内政事情、そして大国間の複雑なパワーバランスの結果に過ぎないのかもしれない」

私の言葉に、父は「そうか……」と一言、深く頷くような、あるいは何かを思案するような返事をしました。

民主主義の「怖さ」と向き合う

トランプ氏のようなリーダーが選ばれる背景には、国民の「実利」があります。品格や正義よりも、今日、そして明日の生活が良くなるかどうか。得をするから、危うさを承知で票を投じる。それはある意味で、民主主義が持つ「冷徹な一面」です。
しかし、戦後という激動の時代を「綺麗事だけでは生き抜けない」と知っている父の世代から見れば、今の世界はどう映っているのでしょうか。

次世代へ何を「伝承」すべきか

今、ウクライナの惨状や、日本国内での憲法改正をめぐる議論など、私たちの子供や孫の世代に直結する大きな変化が起きています。
戦争を知らない世代が、さらに「戦争を全く知らない子供たち」へ、何を伝えていくべきか。
行政書士として、多くの高齢者の方々の人生の幕引きや財産管理をお手伝いする中で、私は強く感じることがあります。
私たちが遺すべきは、預貯金や不動産といった「形ある資産」だけではありません。
父のような世代が命がけで守り、築き上げてきた「平和の尊さ」という目に見えない価値を、いかにリアリティを持って次世代に手渡せるか。それが、今を生きる私たちの大きな責任ではないでしょうか。

高齢者の皆様へ、私からのメッセージ

このブログを読んでくださっている高齢者の皆様、そしてそのご家族の皆様へ。
皆様が歩んできた道のり、その時々に感じた喜びや痛み、そして「戦後の何もない時代からどう立ち上がったか」という記憶は、今の日本にとって唯一無二の宝物です。
「昔の話をしても、若い人は興味を持たないだろう」と諦めないでください。
今の複雑な世界を解き明かすヒントは、案外、皆様が経験された「生きた歴史」の中に隠れているものです。
ぜひ、お孫さんや周りの若い世代に、皆様の言葉で伝えてあげてください。
「当たり前の日常がいかに尊いか」を。
私も一人の行政書士として、皆様の大切な想いや歴史が、争いのない形で次世代へ繋がっていくよう、精一杯のサポートを続けてまいります。

本当の意味の「継承」を

それと、もうひとつ…。私たちは、日本人の「礼儀正しさ」や「清潔さ」を誇りに思いますが、それは戦後の焼け跡で必死に泥を這いずり、生き抜いた父たちの世代が築いた『余裕』の結果であることを忘れてはいけないと感じます。
海外の混沌に対し、かつて自分たちもそうであったという眼差しを持つこと。それが、本当の意味で歴史を継承するということなのかもしれません。

日々の雑感, 相続・遺言, 高齢者支援

大学時代の友人と健康話に花咲じいさん〜還暦のワインは、現世の甘露か、それとも〜

5日間の断酒を経て、ついに現世の甘露(ワイン)と再会。この後、私の記憶の断片はトラットリアに置き去りにされました。(写真はイメージですが、楽しいひと時の空気感が伝われば幸いです)
  

昨日は、大学時代の友人と久々に一献。
当初は11月上旬に約束していたはずが、お互いの「急な体調不良」や「家庭の諸事情」をパズルのように組み合わせているうちに、気づけば半年も経っておりました。時の流れは、まさに光陰矢の如し。
再会するやいなや、乾杯の挨拶もそこそこに飛び出したのは、やはり「健康」の話題です。
かつては恋や将来の夢を語り合った口から、今や「人間ドックの判定」や「肝数値の推移」が、まるでお経のように淀みなく流れ出します。
還暦を過ぎた我々の身体は、もはやビンテージカー。こまめなメンテナンスなしには、車検(生存確認)も通らぬ身の上なのです。

相続・遺言・家族信託で整える「人生の後半戦」

あまりの楽しさに、記憶の断片を新百合ヶ丘のトラットリアに置き忘れるほど豪快に飲んでしまいました。
訳あって5日間の断酒に耐えた後の赤ワインは、五臓六腑に染み渡る、まさに禁断の果実。
小田急線に揺られて平塚へ帰宅し、シャワーを浴びてベッドに横たわれば、そこはもう涅槃(ねはん)の境地……。
翌朝まで一度も目覚めることなく、泥のように眠り続けました。

目指すは持続可能な支え合い

そう、昨日はあんなに熱心に「健康」の話をしたはずでした。
しかし、そんな健康談義の裏側で、ふと考えさせられたことがあります。今の日本は「全世代対応型」の社会保障を目指し、刻一刻と制度が変化しています。
2024年4月からは、75歳以上の方の後期高齢者医療制度も改正されました。負担能力に応じて保険料を調整する仕組みが導入され、「支え合い」の形がより鮮明になっています。一方で、出産育児一時金の増額など、若い世代への支援も手厚くなりました。

こうした時代の流れに触れるとき、私は仏教の「自利利他(じりりた)」という言葉を思い浮かべます。
「自らの幸せ(自利)を願うのであれば、まず他者の幸せ(利他)のために尽くしなさい」。また、ヒンドゥー教に伝わる「すべての生命は、目に見えない糸でつながっている」という宇宙観も、今の社会保障のあり方に通じるところがあるかもしれません。

「未来への準備」は心の安らぎへ

次世代を育むことは、巡り巡って、私たちが安心して暮らせる未来を耕すことでもあります。
しかし同時に、これまで社会を支えてきたお年寄りの方々が、誇りを持って穏やかに過ごせる世の中であってほしいとも切に願います。
健康で楽しく友と笑い合える日々に感謝しながら、私たちは少しずつ「人生の後半戦」の準備を整えていく必要があります。

例えば、手軽に始められる「自筆証書遺言」の作成や、万が一の認知症に備えて財産を託す「家族信託」など、具体的な一歩を踏み出す時期なのかもしれません。
相続や遺言といった「未来への準備」も、実は「自利利他」の精神のひとつ。
大切な人たちが困らないように整えておくことは、自分自身の心の安らぎにもつながるのです。

次に友人と会うときも、また笑顔で「健康の話」ができるように。
そんなささやかな幸せを、行政書士として、一人の友人として、守っていきたいと感じた宴(うたげ)でした。

日々の雑感, 相続・遺言, 高齢者支援

平塚の波音と湯気の向こうに、5000万ソロの影

平塚の海岸にて、漂着した流木を玉座に、昇りゆく朝日を拝む無頼の肖像。江の島の灯台が、まるで「超ソロ社会」を優しく見守る監視塔のように、朝焼けの中に佇んでいます。

平塚の砂浜に打ち寄せられた流木に腰を下ろし、相模湾から昇る朝日を拝む……。
そんな「丁寧な暮らし」風のポーズを決めつつも、頭の中では「老後の孤独」と「ラオシャンのタンメン」が交互に押し寄せるのが、令和を生きるアラ還の日常です。

今や、若者の二人に一人が独身という「超ソロ社会」。自由を謳歌する一方で、ふとした瞬間に忍び寄る「身寄りなし問題」という名の砂粒のような不安。未婚に「離別・死別」を加えた独身者数は約5000万人に達しており、有配偶者数とほぼ同数です。
果たして私たちは、人生の幕引きをスマートにデザインできるのでしょうか。

今回は、平塚の海辺で独り、未来の安心をパッキングする「おひとり様」のための未来戦略について。行政書士の視点から、少しシュールに、かつ実務的に紐解いてみたいと思います

日本人の半分が独身になる時代

私の周囲にも、独身生活を謳歌している方は多くいます。今や、独身研究家という方がいて、その荒川和久(あらかわ かずひさ)氏によると日本人の半分が独身になる時代だそうです。これは、国勢調査などの公的な統計を元に算出・提唱している「超ソロ社会」に関する予測データが有力な出所です。

独身にも二種類あって、自らすすんで独身の「選択的非婚者」とそうでない「不本意未婚者」がいるそうです。前者は約20%で、残りは後者だそうです。
彼は「結婚しないと不幸」という呪いから脱却せよとも主張していますね。たしかに、平塚の街を歩いていても、二人に一人は「ソロ」なのだと思えば、独身の肩身が狭いなどという時代は終わったのかもしれません。

かつて七夕祭りの人混みの中で、きらびやかな竹飾りの影に隠れ、カップルたちの熱気に当てられていた日々が懐かしく思い出されます。今となっては一人、花水ラオシャンで酸味の効いたタンメンをすする時間こそが、至高のデトックス。澄んだスープに浮かぶ玉ねぎを無心で追いかけていると、煩わしい人間関係など、酢の力で溶けていくような気がいたします。とはいえ、新しく整備された「ひらつかシーテラス」を眺めれば、考え方は人それぞれ、そこには賛否両論の波が静かに打ち寄せています。

「自分じまい」の準備はいかに

少子化という大きなうねりはさておき、個人的に気になるのは、自分という存在の「店じまい」の方法です。介護、葬儀、そして遺された家。平塚の心地よい潮風に吹かれながらも、頭の隅をよぎるのは「私の最後の手続き、誰がやってくれるのかしら?」という、非常に現実的な砂粒のような不安でしょう。

そこで、私たち行政書士の出番でございます。「身寄りがない」ことは、決して心細いことではありません。むしろ、自分の最期を自分のセンスでプロデュースできる「自由」があるということ。「遺言書」で財産の行き先をスマートに決めたり、「死後事務委任」という契約で、葬儀や片付けをあらかじめプロに託したり。それは、七夕の短冊に願いを書くよりも、ずっと確実におのれの未来を守る儀式なのです。

ソロで生きる強さと、事務手続きによる安心感。平塚の海のように、穏やかで淀みのない余生をデザインするお手伝いができればと思っております。一度、あなたの「バックアッププラン」についてお話ししてみませんか。

法的な備えで安心の旅路を

太陽は、リア充にもソロにも平等に昇ります。ひらつかシーテラスを黄金色に染める朝焼けを眺めながら、私は確信しました。

独身という名の自由な海を漂うには、コンパスとなる「備え」が必要なのだと。
ラオシャンのタンメンが朝の胃袋に染み渡るように、法的な準備があなたの未来に安心を届けます。

「私の一生、これでいいのかしら?」という、形のない不安の雲が朝日に溶けていくまで。平塚の海辺で、あなたの声を静かにお待ちしております。

こうした社会の波の中で、ご自身やご家族の将来に少しでも不安を感じたら、まずは弊所へお気軽にお話をお聞かせください。おひとりさまの『これから』を一緒に考えるパートナーとして、誠心誠意サポートいたします。

日々の雑感, 相続・遺言, 高齢者支援

お墓の不安を解消する、法事の席でこぼれた「誰にも迷惑をかけたくない」という本音

「この話に枝から枝にいつしか咲いたよ 見事な花が」不安を安心へ。枝から枝へと言葉を紡げば、いつしか心に見事な花が咲くものです

将来に関する切実な不安

今日、親戚の法事に参列しました。久々に顔を合わせた親類たちと静かに語らう中で耳にしたのは、将来のお墓に関する切実な不安でした。

「自分がいなくなった後、このお墓は誰が見てくれるんだろう?」

「残された子どもたちに、あとの手続きで苦労をさせたくない……」

共通していたのは、周りを思うがゆえの「誰にも迷惑をかけたくない」という、優しくも切実な願いでした。
法事のあとの直会(なおらい)では、そんな不安が枝から枝へと移るように広がり、いつしか解決への糸口を探る対話の花が見事に咲いたのです。

「その不安」をどう解消するか:墓じまいと改葬のサポート

まず、多くの方が誤解されがちなのがお墓の仕組みです。実はお墓の土地は「所有」しているのではなく、あくまで「使用権」を借りている状態に過ぎません。そのため、お墓を使い終えるときにはお寺や霊園へ返還する必要があります。

しかし、そのために必要な「改葬許可申請」などの行政手続きは、非常に複雑で手間がかかるものです。そこで私たち行政書士は、役所への書類提出やお寺とのやり取りを代理し、スムーズな墓じまいをサポートします。

例えば、最近増えている樹木葬や海洋散骨など、管理の負担が残らない「永代供養」への切り替えを検討する際も、事務手続きの面からお力添えが可能です。

「死後の片付け」をあらかじめ予約する:死後事務委任契約

また、お墓のこと以上に心配されるのが、亡くなった直後の実務的な片付けです。
「家の片付けや役所の手続きを誰に頼めばいいのか」という不安に対しては、「死後事務委任契約」が大きな支えとなります。

これは、葬儀の手配から遺品整理、公共料金の解約、さらにはSNSなどのデジタル遺産の整理に至るまで、あらかじめプロである行政書士に任せておく契約です。これを結んでおくことで、親族に実務的な負担を一切かけることなく、ご自身の希望通りに人生を締めくくることができます。

「もしも」の時に備える:見守りと遺言のセット

さらに、将来への不安は亡くなった後だけではありません。「元気なうちはいいけれど、もし認知症になったら? 財産の管理はどうなるの?」といった声も聞かれました。

そのような場合には、「任意後見契約」「遺言書の作成」をセットで備えることをお勧めしています。「親族には、ただ『思い出話』に花を咲かせてほしい。面倒な手続きはプロに任せてあるから大丈夫」と言い切れる状態を作ることが、ご自身にとっても周囲にとっても最大の安心材料になります。

結びに:一人で抱え込まず、プロという選択肢を

「誰にも迷惑をかけたくない」という思いが強い方ほど、つい一人で悩み、動けなくなってしまうものです。しかし、行政書士はその想いを「契約」という形にして確実に守る伴走者です。

親族だからこそ、かえって言いにくいこともあるでしょう。そんなときは、まずはプロという選択肢を頼ってみませんか。
法事の日の空に咲く花のように、あなたの心にある不安も、きっと晴らしていくことができるはずです。

日々の雑感, 相続・遺言, 高齢者支援

孤独を「孤高」へ昇華させる、大人のためのお守り

四月、すべての始まり。
葉桜さえ芽吹けど、雨はしとしと、しとぴっちゃんと降り止まず、心身に孤独のカビが繁殖しそうな寒さです。

一昨年施行された「孤独・孤立対策推進法」。国がわざわざ「孤独は有害」と定義した事実に、自由を謳歌する身としては背筋に冷たいものが走ります。
統計を見れば、独居世帯はうなぎのぼり。タワマンの灯りの数だけ、虚無を抱えてスマホを凝視する魂があると思うと、目眩がいたします。

挨拶のない日常に安心のお守りを

自由でリラックスできる社会の裏側で、地域との繋がりは希薄。
挨拶のない日常という「無菌状態」は、高齢化とともに、ずしりと重く身に応えてくるはずです。

当然、行政も対策に奔走していますが、私たち行政書士ができること。それは、皆様が「おひとりさま」としての矜持を保ちつつ、安心してこの世を去るための「契約」という名の護符(お守り)を授けることです。

見守り契約:孤独という闇に、定期的な安否確認という「生存証明」の光を。

任意後見:「あれ、何だっけ?」と、綾小路きみまろさんのネタになる前に、備えあれば憂いなし。未来の自分への、最高に優しいギフトです。

死後事務委任:葬儀や遺品整理……魂の「出口戦略」を法的にガード。

人は一人で生まれ、一人で死んでいく。それは逃れられない摂理であり、あまりにも重すぎる永遠のテーマです。死に直面したときにその答えが出るのかは分かりませんが、せめて法的な「結界」だけは盤石に。孤独が「孤高」という名の高潔なものに変わるよう、全力で見守らせていただきます。

こうした社会の波の中で、ご自身やご家族の将来に少しでも不安を感じたら、まずは弊所へお気軽にお話をお聞かせください。おひとりさまの『これから』を一緒に考えるパートナーとして、誠心誠意サポートいたします。

相続・遺言

「あとのことは、よしなに」という話

たまには、遺言についてふと考えてみる。
日本で死ぬ人のうち、遺言書をまともに残しているのは10%にも満たないという。60代や70代の諸氏に限っても、わずか3.5%。みんな、自分が死んだ後のことには驚くほど無頓着か、あるいは「なんとかなるわい」と高を括っているらしい。

パブでフィッシュアンドチップスをつまみながら定番のエール「ロンドンプライド」を飲みながら相続話しに花が咲く

ところが海を越えると、話はがらりと変わる。特にイギリス。あちらでは、遺言を書くのは「紳士のたしなみ」なのだそうだ。30代の若者が、パブで酒を飲むついでに「自分が死んだらこのレコードは誰に」なんて書く。家族に余計な苦労をさせないのがクールだというわけだ。

アメリカにいたっては、もっと切実である。遺言がないと裁判所がしゃしゃり出てきて、遺産をガチガチに固めてしまう。そんな面倒を避けるために、みんなスマホでサクッと「電子遺言」を作る。死の準備さえデジタル化されている。

昔から、アメリカで流行ったものは10年遅れで日本にやってくると決まっている。そのうち日本でも、コンビニで弁当を買うくらいの気軽さで、遺言がやり取りされる時代が来るのだろう。まあ、日本の法律では、15歳にもなれば、親の許しがなくともひとりで遺言は書ける。中学生が「僕の全財産は、ダンス部の美緒ちゃんに」と書き残してもいい。いずれにせよ、死んだ後の始末をつけておくのは、案外、粋なものかもしれない。

さて、そんなわけで昨今、死んでから家族が「印鑑証明が足りない」だの「あの土地は誰のものだ」だのと、揉めるのは、どうにも無粋というものです。もし、枕元に書きかけの遺言書を置きたくなったら。あるいは、何から手をつければいいか分からず、途方に暮れてしまったなったら。その時は、私を呼んでください。ご遺族に寄り添い、あなたの「人生の締めくくり」をお手伝いします。
それが、私の仕事ですから。

上部へスクロール