日々の雑感, 高齢者支援

春の滝に、独り語りを聴く

今日は妻とお花見ハイキングへ。
昨日の箱根の混雑に少々辟易したため、今日は妻の提案で山北町を選びました。
河村城址から洒水の滝、そして桜まつりを巡り、最後は温泉という贅沢な日帰りコースです。
休日の行楽日和にもかかわらず、私たちの選んだルートは意外なほど人影がまばら。静かな時間を、春風とともに味わうことができました。

名勝・洒水の滝で、たまたま出会った一人の老婦人と話が弾みました。
豪快な飛沫を眺めながらの会話。「次は富士山にも挑戦したい」という意欲的な言葉の端々に、ふと「一人暮らし」を連想させる響きが混じります。
「パートナーがいるっていいですね」――その一言に、実感がこもっていました。

現在、日本の単身世帯(独居世帯)は約2,110万世帯に達しており、全世帯の約38%を占めています。
「独り」であることの自由さと背中合わせの不安。行政だけでは手が届かない課題が、美しい滝の裏側にある深い淵のように、あちこちに潜んでいます。

「いつかはあの嶺へ」と語る彼女の瑞々しい向上心が、孤独や将来への不安に曇らされてしまうのはあまりに惜しい。
老後の安心を整えることは、単なるリスクヘッジではありません。
心置きなく「次の挑戦」を楽しむための、いわば人生の潤いを守るための土台作りなのだと再確認しました。
私たち「街の法律家」が伴走することで、その一歩がもっと軽やかになるのなら。

例えば、こんな「支え」の形があります。
見守り契約:定期的な連絡で孤独を和らげ、万一の異変に備える。
任意後見契約:判断能力が低下した際に備え、信頼できる人に財産管理を託す。
死後事務委任契約:葬儀や片付けなど、最期のアフターケアをあらかじめ受託する。

名瀑を前に、案外できることはたくさんあるものだと、しばし瞑想にでも耽っているような、神妙な面持ちになっていました。

最後は「桜の湯」で汗を流し、湯上がりには左手を腰に、きゅっと冷えた缶ビールの「粋な一杯」で締めです。
これからの相談業務も、その喉ごしのキレ味のごとく、清々しく取り組んでまいります。

見事な晴れ舞台。その刹那の輝きに、人は己を重ねる
外国人在留手続, 日々の雑感

箱根山中、春ぼらけ。思考を止めて「言語の迷宮」に揺られる

窓の外では、咲き始めた桜が春霞に淡く溶け、箱根の山々はどこか「春ぼらけ」の様相を呈しております。そんな微睡(まどろ)むような陽気に誘われ、今月もまた、いそいそと箱根山に出かけてまいりました。

月に一度、箱根の山中の「箱根コミュニティ・カレッジ」なるスポットへ、吸い寄せられるように足を運んでおります。当初は、道に迷って途方に暮れる青い目の異邦人を優雅にエスコートするための「英語ガイド養成講座」……つまりは善行という名の徳を積む場所かと思っておりました。ところが、いざ潜入してみれば、そこは意外にも風通しの良い、スピリチュアルなほどに心地よい学び舎。愉快な面々と、まあ、適度な距離感を保ちつつ「ぼちぼち」と英語での交流を深めている次第です。
振り返れば、私と英語という愛憎半ばする言語との付き合いも、妙に長くなってしまいました。

そんな語学人生のハイライトを問われれば、中年の危機とでも申しましょうか、分不相応にも手を出した「英検1級」合格の瞬間かもしれません。動機など、いつだって世俗的なもの。ただ息子たちに、抗えない加齢に挑む「親父の背中」という名の哀愁を見せつけてやりたかった……それだけの執着でございます。
しかし、この「いっきゅうさん」への道のりが、まあ手強い。特に「面接」という名の対面儀式が、私を翻弄いたしました。今思えば、苦戦は宿命だったのでしょう。それまでの私は、血の通わない教科書の中の「死んだ英語」か、あるいはエゴをこねくり回した「オレ流」のデタラメな英語しか、口にしてこなかったのですから。
筆記さえクリアすれば、あとは口先三寸でどうにかなる。そんなふうに高を括っていた己の甘さは、もはや羊羹をあんこで和えたレベルでございました。

一回目は、ディベートという名の言葉の殴り合い。白人面接官に完膚なきまでに浄化(ノックアウト)され、己の未熟さを骨身に刻まれました。
二回目は、羞恥心をかなぐり捨て、圧倒的な語数で押し切る「全裸でマシンガン作戦」を展開。しかし、これは無残な自爆に終わり、対話という概念を宇宙の彼方に置き去りにした私を、年配の女性面接官が、まるで見知らぬ未確認飛行物体でも見るかのような冷ややかな眼差しで凝視。あの、沈黙を煮詰めて憎悪を足したような「絶句顔」は、今も私の拭いがたい業(カルマ)として脳裏に焼き付いて離れません。まさに言葉の輪廻(りんね)、苦行の連鎖でございました。
そして三度目の正直。ようやく啓示のように悟ったのは、見栄という鎧を脱ぎ捨て、淡々と、等身大の言葉で語るという境地でした。誠実というか、もはや「降伏」に近い真摯さで臨み、ようやく合格という名の慈悲(じひ)を、解脱(げだつ)のごとく「させていただいた」のでございます。

やはり、思考は毒。感じることこそが真理。自我を捨て、音と一体となる三摩地(サンマディ)の境地。
※「三摩地(サンマディ)」:瞑想が深まり、心身が統一された恍惚状態のこと

今でもAFN(米軍放送)を生活のBGMとして垂れ流し、時折、旅に出れば異国の方と接触を図ってはおりますが、しょせんは「言葉」という頼りないツール。喋れば喋るほど、隠しきれない語彙の癖や、自身の精神の底の浅さが、ぼろぼろと露呈してしまいます。
ですが、それでよろしいのでしょう。「自分は自分」という名の開き直りさえあれば、案外、この世の中も穏やかに回っていくような気がするのです。
だいたい、英語と一口に言っても、宇宙には星の数ほどの「英語」が漂っているのですから。
私は、あの巻き舌が唸りを上げる、まるでおもちゃ箱をひっくり返したようなカオスな「インド英語」を耳にするたび、たまらない高揚感を覚えてしまうのでございます。

思考を止め、春の柔らかな空気に身を委ねれば、かつてのトラウマも桜とともに散り急ぐ心地。この心地よいカオスを、今はただ「ぼちぼち」と愉しむことにいたしましょう。
……さて、そんな悠長なことを申しておりますが、実はこの「愛憎半ばする言語」を武器に、行政書士として新たな一歩を踏み出す決意をいたしました。在留許可という名の迷宮に立つ、異邦の方々の「羅針盤」として。
あの日の私を救った「誠実さ」を胸に、迷える旅人の力になれたなら。春の光の中、そう静かに念じているのでございます。

世界が交差する箱根の玄関口、小田原駅。飛び交う異国の言葉、重い荷物の調べ

日々の雑感

偶然の織りなす不可逆な曼荼羅(まんだら)

病院の長い待ち時間、ふとスマートフォンの写真フォルダを遡ってみました。そこにあったのは、今年一月、一ヶ月にわたって彷徨ったインドの光景。

忙しさに紛れて忘れていたはずの熱風や埃の匂いが、一枚一枚の写真をめくるたびに、鮮やかに蘇ってきます。

病院の待合室という、清潔だがどこか空虚な空間で、私は本年一月のインド旅行の記録を紐解いていた。一ヶ月ほどの旅であったが、帰国後の喧騒に紛れ、掌の中のスマートフォンを反芻する余裕さえ失っていたのである。
指で画面をなぞれば、そこには実に多様な人間たちの顔があった。
そもそも、旅の緒からして不穏であった。エアインディアが「機材繰り」という名目のもと、航空会社が欠航を告げたのは、遅延を繰り返した挙句の夕刻であった。出鼻をくじかれた私は、その時、舌打ちの一つもしたかったはずだが、今となってはそれも、大いなる意志による「配慮」であったように思えてならない。

画面のなかで、懐かしい「演出家」たちが次々と現れる。
ハンピの古寺で共に夕日を眺めたディンプル。彼女のスクーターの背に揺られながら見た落日は、血のような朱であった。臨床心理士を目指す韓国から来たサニーとは、不思議なほどに再会を繰り返した。ホスペットの夜のバス停で彼女の顔を見つけた時の、あの磁石が引き合うような驚き。あるいは、ベナウリム・ビーチのシバという老人は、流暢な日本語を操り、私の胸に深い余韻を残した。
列車で食を分け与えてくれたテレビ局の老婦人、日本の思い出を語ったアフリカ出身の紳士、駅の冷たい床で夜を明かした際に語り合った若き講師、無数の偶然が重なり合っていた。挙げればきりがない。

ふと、私は眩暈(めまい)に似た戦慄を覚える。
もし、あの初日の欠航がなければ、私はこの誰一人とも邂逅(かいこう)していなかったはずなのだ。人生とは、つまるところ、こうした細部の集積によって構成される巨大な伽藍(がらん)ではないか。

私たちは、誕生という原初の偶然から始まり、進学や就職、あるいは伴侶との出会いといった、いくつかの大きな分岐点を選択して生きてきたつもりでいる。しかし、実際には「飛行機が飛ばなかった」という些細な齟齬こそが、不可逆的な未来を造形していくのである。
私が今、別の場所で別の誰かと笑っている可能性。その「存在したかもしれない私」の影が、ディスプレイの光を透過して、待合室の私を静かに揺さぶる。
人生は、計算の立たぬ「無頼旅」そのものである。私は再び画面を閉じ、次に私を待つ未知の欠航(アクシデント)へと、静かに想いを馳せた。

 ……そんな大袈裟なことを考えながら、ふと顔を上げると、会計を待つ人々の静かな日常がそこにありました。
予定通りにいかないのが旅。そして、おそらくは人生も。
次はどんな「想定外」が私を待っているのか。検査結果に安堵しながら、私はもう、次の無頼旅の空を見上げています。

人生とは、こうした無数のノミ跡が重なり合って成る伽藍のようなもの Ajanta Caves, India
高齢者支援

高齢の父が免許を更新した日 ―― デジタル化の壁と行政書士にできること


本日、昭和一桁生まれの父の運転免許更新に付き添い、警察署へ行ってきました。
90歳を超えてなお、自ら家事をこなし、認知機能も正常。父にとって免許証は、単なる許可証ではなく、自立して生きる「現役の証」であり、誇りそのものです。
しかし、現場で目にしたのは、高齢者が直面する高い「デジタル化の壁」でした。

  1. 警察署で聞いた「切実な声」
    現在の更新手続きは、75歳以上の認知機能検査から始まり、視力検査、そして機械への暗証番号入力など、多くのステップがデジタル化されています。
    隣で操作に難儀していた方がこぼした「いくらか払ってでも、誰か代わりにやってくれないか」という言葉。それは、身体能力はあっても、複雑なシステムに置き去りにされる不安の表れだと感じました。
  2. 行政書士として、私たちが「伴走者」になれること
    本来、免許更新は本人の出頭が原則です。しかし、そこに至るまでの「準備」や「その後の選択」において、私たち行政書士がサポートできることは多々あります。
    手続きの交通整理: 認知機能検査の予約や、必要書類の事前準備のアドバイス。
    「返納」という決断のサポート: 運転を卒業する際、身分証となる「運転経歴証明書」の申請補助や、返納後の生活設計(遺言・後見制度)の相談。
    デジタル格差を埋める相談窓口: 2025年からは「マイナ免許証」も始まっています。操作の代行はできずとも、仕組みを噛み砕いて説明し、心理的なハードルを下げる「伴走者」としての役割が、今こそ求められています。
  3. 驚きのデータ:100歳を超えてもハンドルを握る人々
    最後に、興味深い統計をご紹介します。警察庁のデータ(令和5年末)によると、日本には100歳以上の免許保有者がなんと「6,423人」もいらっしゃいます。
    90〜94歳の方に至っては約24.3万人。父の挑戦は、決して特別なことではなく、これからの超高齢社会における一つの日常なのです。
    結びに
    「返納すべき」という一般論も大切ですが、父のように「ルールを守り、限界を知り、技術で補う」ことで自立を保つ姿もまた、尊重されるべき一つの形です。
    私たちは、単なる書類作成の代行者ではなく、高齢者の「誇りある暮らし」を守るための法務のパートナーでありたい――。警察署の喧騒の中で、改めてそう強く感じた一日でした。

参考:70歳から74歳までの方の運転免許更新手続(高齢者講習)神奈川県警のページ

写真はイメージです

日々の雑感

デジタルという全知全能の具

平塚市役所へ行ってきた。用件は私個人の「国民健康保険」デビューである。
前職の保険組合という、「温かい揺りかご」の約2年の延長期間も終わりを告げた。国民健康保険と比べ、組合の方は比較的低い年収ラインで「上限」という名の防波堤を用意してくれている。おそらく偉いお方たちが、自らのために知恵を絞って作った仕組みなのだろう。ソフトランディングに感謝。ありがたや、ありがたや。

さて、久しぶりに足を踏み入れた市役所だが、明るく、レイアウトは洗練され、職員諸君はテキパキと、しかも爽やかに動いている。口座振替に印鑑も通帳も不要、キャッシュカードを一枚差し出すだけで、デジタルという「全知全能の具」がすべてを解決。「ほう」と感心している間に、一時間足らずで全てが完了した。実にお見事、まさにスマート。
だが、ここで私の開業への気負いがむくむくと鎌首をもたげた。
「ふむ。この方々が今後、稼業の『強力な助っ人』となるのか、はたまた、あるいは……」もしかしたら、温かくも怪しげな視線を皆様に送ってしまっていたのかも。失敬。

日々の雑感

春は遠きにありて、老舗で高楊枝

本日23日。私は、神奈川県行政書士会の門をくぐり、身に余る豪奢な入会金と登録手数料、そして印紙を納めてきた。それは、新しい人生という名の「旅」を始めるための、確かな通過儀礼のようなものだった。対応してくれた事務局の方の横顔には、隠しようのない疲れがにじんでいたのに気が付いた。この季節、私と同じように志を抱いた人々が、次々とここを通り過ぎていくのだろう。わが身のかつての現役時代と彼らの多忙を重ね合わせ、「どうかお体に気をつけて」と、心の中で静かにエールを送った。

かつて、闇の中で切望した妖怪たちのように、今の私の胸にあるのは「早く行政書士になりたい」という、ひたむきな祈りに似た思いだ。けれど、この「待たされる時間」こそが、実は人生において最も豊かな時間なのかもしれない。行政書士という資格の重みが、ひとつの生命がゆっくりと脈動を始めるように、実感として心に沁みわたっていく。この、胸を締めつけられるようなスローモーションのような静かな時間は、きっと一生忘れることはないだろう。帰り道、そばをすすりながらそんなことを考えた。
登録が完了するのは、最速で4月15日。さらに27日には、新しい門出を祝う研修会と、宴を兼ねた交付式が用意されているという。何とも心躍る、春の約束ではないか。

振り返れば、去年の11月9日の試験に始まり、1月の合格発表、3月の説明会……。
カレンダーの数字をひとつずつ塗りつぶすたびに、あの「金色のバッジ」が、一歩、また一歩と、着実に私の胸に近づいてきている。この、切ないまでの喜びを、今はただ、掌(てのひら)の中でそっと温めていたい。夜の底で、新しい自分に出会う夢を見ながら。
この人生のイベントに関わってくれているすべての人たちに、深い感謝を。おやすみなさい。

士業たるもの、締めは横浜駅の老舗でそばを食らう

相続・遺言

「あとのことは、よしなに」という話

たまには、遺言についてふと考えてみる。
日本で死ぬ人のうち、遺言書をまともに残しているのは10%にも満たないという。60代や70代の諸氏に限っても、わずか3.5%。みんな、自分が死んだ後のことには驚くほど無頓着か、あるいは「なんとかなるわい」と高を括っているらしい。

ところが海を越えると、話はがらりと変わる。特にイギリス。あちらでは、遺言を書くのは「紳士のたしなみ」なのだそうだ。30代の若者が、パブで酒を飲むついでに「自分が死んだらこのレコードは誰に」なんて書く。家族に余計な苦労をさせないのがクールだというわけだ。

アメリカにいたっては、もっと切実である。遺言がないと裁判所がしゃしゃり出てきて、遺産をガチガチに固めてしまう。そんな面倒を避けるために、みんなスマホでサクッと「電子遺言」を作る。死の準備さえデジタル化されている。

昔から、アメリカで流行ったものは10年遅れで日本にやってくると決まっている。そのうち日本でも、コンビニで弁当を買うくらいの気軽さで、遺言がやり取りされる時代が来るのだろう。まあ、日本の法律では、15歳にもなれば、親の許しがなくともひとりで遺言は書ける。中学生が「僕の全財産は、ダンス部の美緒ちゃんに」と書き残してもいい。いずれにせよ、死んだ後の始末をつけておくのは、案外、粋なものかもしれない。

さて、そんなわけで昨今、死んでから家族が「印鑑証明が足りない」だの「あの土地は誰のものだ」だのと、揉めるのは、どうにも無粋というものです。もし、枕元に書きかけの遺言書を置きたくなったら。あるいは、何から手をつければいいか分からず、途方に暮れてしまったなったら。その時は、私を呼んでください。ご遺族に寄り添い、あなたの「人生の締めくくり」をお手伝いします。
それが、私の仕事ですから。

日々の雑感

Nothing’s gonna change my world — 「施無畏」の心を探して

Images of broken light which dance before me like a million eyes, They call me on and on, across the universe…(砕け散った光の像が、数百万の瞳のように僕の前で踊り、僕を宇宙の彼方へと呼び続ける……)

昨日は妻と墓参りへ。
お墓とは、亡き人と対話し、己の魂を浄化する聖域です。ところが時代の荒波は、その静寂さえも変えてしまうものなのでしょうか。訪ねた別のお寺で耳にしたのは、経営、規約、顧問弁護士そして「将来性」という、切実な、お寺側の焦燥でした。

仏教には「施無畏(せむい)」という言葉があります。
恐れを取り除き、安心を与えることこそが尊い布施であるという教えです。

先を読むのは賢者の知恵ですが、「過ぎたるは及ばざるがごとし」数字や不安に心を奪われ、目の前の安らぎを見失うのは悲しいことです。100年先を憂うよりも、今ここにある平穏を大切にしたい。
そんな思いを抱きながら、静かにその場を後にしました。

Nothing’s gonna change my world.
変化の激しい時代ですが、先祖を想う心だけは、どうか世俗の荒波に惑わされませんように。

今年1月インド ハヌマナハリの寺から朝日を眺める
Anjanadri Hill Hanumanahalli Sanapur Hampi India

日々の雑感

池袋でインド映画、そして「自由」に句読点を


今夜はインド映画祭の最終日。池袋の劇場でゆったりとスクリーンに浸る――そんな二週間にわたる「東京通い」も、これでひと段落です。

行政書士として、新たな門出に据えるのはこの三本柱です。
A spirit of service 奉仕の精神
Giving back for past kindness これまでの恩返し
Unwavering self-improvement 飽くなき己の成長

十分に充電したからこそ、これからは法務サービスを通じて、誰かの力になりたい。自由を満喫したあとの「再出発」は、どこか身が引き締まるような心地よさがあります。
さて、まずは今夜の最終上映を楽しみ、心置きなく私の「人生の休暇」を締めくくってくるとしましょう。

インド文化に感謝。”भारत को बहुत-बहुत धन्यवाद” (Bharat ko bahut-bahut dhanyawad)

日々の雑感

頼もしすぎる相棒との橋渡し

今日、半日ほど時間が空いたので、かねてより懸案だったホームページの英語版作成に着手しました。
WordPressの多言語化プラグインを入れたところ、これがトラブル続き…。リンクは迷子に、画像はどこかへ消え、便利なはずのソフトに翻弄され、使いこなせませんでした。結局、終始トラブルの修復に費やす羽目になりました。さらにアンインストールしたものの、その後の復旧作業にも手間を食いました。

そんな難局を乗り切るのに欠かせなかったのが、AIの存在です。
AIに励まされ、知恵を借りながらPCに向き合い、その便利さをつくづく実感できました。長時間にわたりご指導いただきまして、AI様様(さまさま)ありがとうございました!

今後の複雑多様なコンサルティングへの移行を思えば、依頼者様に対する行政書士とAIの関係は、単なる「代替」ではなく、「効率化をAIが担い、信頼と判断を行政書士が担う」という分業体制へと進化するのでしょう。行政書士が目指す「依頼者様への橋渡し」は、AI時代において最も価値が高まる領域になるはず。そうならなければ…明日はないでしょうな。

というわけで、明日は木曜日、少しお疲れ気味です。

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